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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

飛行機で大分へ(移動編) ~1991年11月その1~

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大分空港

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
11月 9日 8:30 全日空 羽田発大分行き 別府1本
11月10日 大分昼2本 湯布院1本
大分合同新聞主催の玖珠町のイベントに出演した時だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

 

大分合同新聞主催のイベントに呼ばれて、大分へ行く事になった。
往復の飛行機代は、スポンサーの大分合同新聞が出してくれるらしい。
九州には機材車を走らせてしか行った事がなかったので、とても嬉しかった。
24時間かかる距離が、わずか1時間で着いてしまうのだから。


当日朝8:00にメンバーと羽田空港で待ち合わせをした。
飛行機は、8:30の大分空港行きである。
飛行機なのに出発まで30分前の集合だった。
少し待ち合わせ時間が遅いな、と思っていた。

俺は、スネアドラムと着替えの入ったバッグを持って早めに着いていた。
集合時間前に伝兵衛さん、8:00丁度に吉見さん。
メンバーが楽器を抱えて集まる。
しかし、8:00を過ぎてもギターの恒ちゃんだけは来なかった。

遅い。
刻々と出発の時間が迫って来る。
ギリギリまで待っていると、遠くから恒ちゃんがギターを抱えて走って来るのが見えた。
完全に鹿児島時間だ。
鹿児島時間とは、時間を守れずに必ず遅れてやって来る事である。
こういう人には、時間を30分早く伝えるのが良い方法なのだが・・・。
メンバーが揃うと猛ダッシュでANAのカウンターへ走る。
慌ててチェックインし、楽器を預けた。


さて、飛行機に乗る時に楽器を預けると、ハードケースの取手にFRAGILE(壊れ物取り扱い注意)のタグを付けてくれる。
俺はこれに憧れていた。
沢山タグが付いていると、ツアー慣れしたイケてるミュージシャンに見えるからだ。
俺はスネアドラムを、他のメンバーは、ギターとベースを預けた。

早速、ANAのお姉さんがタグを付けてくれる。
楽器達はベルトコンベアで奥へと消えていった。


飛行機に乗り込むと、俺と伝兵衛さんが並びで、吉見さんと恒ちゃんがその後ろの席に座った。
移動に車以外使った事が無かったので、なんか変な感じだ。
偶然にも、いつもの車の座席位置と同じであった。

暫くすると、朝の便だったので、軽食としてサンドウイッチが出た。
もちろん、熱いおしぼりのサービス付きである。

これで顔を拭くのは、なんとも言えない爽快感があったものだ。
是非とも復活させて欲しいサービスである。

そうこうしているうちに、大分空港に到着した。
羽田から大分までは、1時間ちょっとのフライトであった。


大分空港に着くと、ベルトコンベアから楽器が出て来るのを待った。
すると、FRAGILEのタグが付いたスネアケースが出て来た。
おまけに、赤い「取扱注意」のシールも貼ってあった。

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帰りの分と合わせると2つのタグがゲット出来る計算だ。

楽器を抱えて到着ロビーに出ると、別府市内に向かうバスを待った。
土産物を見ていると、店員のお姉さんがワゴンを片付け始めた。
1日数便の大分空港では、お客さんが居なくなると次の便まで売店は店じまいする事を初めて知った。


今回のツアーの内容は詳しく知らなかった。
まあ、これは毎回の事ではあるが。
大雑把に聞いていたのは、別府・大分・湯布院でライブをやるらしいと言う事位である。

我々は、とりあえずバスで別府に向かった。


ーつづくー