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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

冬のツアー(芦屋クリスマスパーティー) ~1991年12月その7~

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
12月10日 葉山12時
12月11日 横浜Buddy
12月12日 茅ヶ崎R'S Stage
12月13日 移動日
12月14日 移動日
12月15日 淡路ジョルジュ(ロイヤルグレースホテル)
12月16日 神戸ステラ
12月17日 芦屋クリスマスパーティー
12月18日 和歌山オールドタイム
冬のツアーだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

この日の事は良く覚えている。

神戸ステラでのライブ後、たらふく飲んだ翌日の午後。
すごく天気が良かった。
神戸のブッキングの世話をしてくれた女性、中野さんと芦屋の駅で待ち合わせをした。
芦屋の街は落ち着いていて、この街を歩く人達は裕福そうに見えた。
駅前を外車ばかり走っていた記憶がある。

中野さんは真っ赤なボルボ940エステートでやって来た。
高級なスウェーデン製のワゴン車である。

芦屋の駅ビルの地下の駐車場に車を止め、喫茶店で今日のライブの打ち合わせをしたのだ。
芦屋のアイスホッケー愛好会のクリスマスパーティーにゲスト出演するらしい。
伝兵衛さんは、ライブの行き先は告げるのだが、詳細は当日に分かるのだ。
ざっと打ち合わせを終えると、彼女のボルボで会場に向かった。
重厚なボルボのドアを閉めたのを覚えている。

会場は、住宅街の飲食店を貸し切りにしていたと思う。
芦屋のアイスホッケーチームのガタイのいい選手とその家族を含めた老若男女30人位が集まっていた。
上品な午後のティーパーティーと言ったところか。
小さなステージが作られていて、お客さんは皮張りのソファーに座っていた。
料理とお酒がワゴンに並んでいて、セルフサービスのスタイルだ。

楽器を運び込むと、まだ明るい冬の午後にライブは始まった。


まずは、伝兵衛さんの挨拶から。
今日のパーティーにゲストとして呼ばれた感謝を述べた。
そして、パーティーの雰囲気を壊さない様なスタンダードのジャズに、この日の為に練習したクリスマスソングを交えて演奏をした。

40分位演奏したら、休憩になった。
グラスを貰って、ビールを飲む。
今日は飲みながら演奏できる。
最高だ。

二回目のステージも、おとなしめのジャズタイム。
終わると、再びビールを飲む。

ここまでは、BGM的な演奏だった。

そして、三回目のステージ。
いよいよ伝兵衛商会のオリジナル曲で本格的なライブが始まった。
抑えていた音を開放し、まずは「伝兵衛商会のテーマ」からだ。
客席からは手拍子が始まり、盛り上がっていく。
40分程演奏しただろうか。
最後は「ウェスが聴こえる」でフィニッシュ。
拍手喝采で幕を閉じた。

演奏が終わったら、パーティー会場で飲み放題、食い放題で打ち上げだ。
本当に至れり尽くせりのライブでした。


ーつづくー