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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

夏のツアー(フェリーで奄美大島へ) ~1991年8月その16~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
8月 1日 京都アザーサイド
8月 2日 大阪ニコチャン堂
8月 3日 神戸ステラ
8月 4日 六甲山カンツリーハウス
8月 5日 移動
8月 6日 移動
8月 7日 湯布院
8月 8日 大分ブリックブロック
8月 9日 天ケ瀬 水光園
8月10日 中津江 松原ダム
8月11日 宮崎ひまわり荘
8月12日~16日 フリータイム
8月17日 奄美大島
8月19日 加世田
8月20日 鹿児島T-BONE
フォーク系バンドは夏のツアーが稼ぎ時だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

8月15日の午後。
伝兵衛商会は、鹿児島のフェリー埠頭にいた。

この日の夕方のフェリーで、奄美大島に向かうのだ。
マルエーフェリーは、鹿児島と沖縄を結び、沖縄までは24時間かかる。
奄美大島の名瀬港には、その半分の12時間で、明日の早朝に寄港する。
島を結ぶフェリーは、人や車だけでなく食料などの生活必需品も運び、島のライフラインとして無くてはならないものである。

乗船券を買った後、出航の18時まで時間が有るので、フェリー埠頭にほど近い与次郎ヶ浜に「ザボンラーメン」を食べに行った。
これも、ギターの恒ちゃんのお勧めだった。

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「ザボンラーメン」とは言っても、決して果物のザボンが入っている訳ではない。
味はとんこつ系ラーメンだが、臭いが少なく、あっさりしていて食べやすかった。
キャベツのシャキシャキ感が心地よい。
食後は、船での宴会用の食料の買い出しをして、フェリー埠頭に戻った。


機材車は鹿児島のフェリー埠頭の駐車場に置き去りにして、楽器と着換えだけを持った。
俺の荷物は、スネアドラムとベダルケースとスポーツバックが1つである。
もちろん、奄美大島では手に入り難い「いいちこ」二本も詰め込んだ。

タラップを渡り、乗船する。
乗船券に従って船の階段を下りる。
我々の席は、一番安い雑魚寝の二等船室で、20畳くらいの畳のスペースである。
幸い、船内はそんなに混雑していなかった。
我々の畳のスペースは、貸し切り状態である。
しかし、楽器も一緒に持って来ているので、誰かが番をしなければならない。
メンバー4人の内、2人づつで船内を散策した。

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隣りの二等船室スペースには、団体客がいた。
修学旅行の学生達だった。
興味深そうに、サングラスと長髪のオジさん達を見ている。


フェリーが出港した。
錦江湾は内海なので、船は揺れないと聞いていたが、本当にすべる様に進んで行く。

しばらくすると、こちらをチラチラ見ていた修学旅行生の女の子のグループが話しかけてきた。
我々が楽団だと知ると、一曲やってくれと、ねだってくる。
仕方なく、恒ちゃんはギターをケースから出し、俺はブラシを取り出した。
吉見さんは、笑って見ていた。
俺は、畳を叩いてカウントを取った。
恒ちゃんが静かにイントロを弾きだす。
「上を向いて歩こう」だ。
伝兵衛さんは、囁くように一番だけを歌った。


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曲が終わると拍手が起こり、その後も、ずっと彼女達と話をしていた。
修学旅行で、沖縄に行く中学生だった。
夕食の時間になり、やっと彼女達は去っていった。

船は、まだ陽が落ちきらないうちに、山川町沖を進む。
開聞岳が黒くそびえ立って見える。
ギターの恒ちゃんは、自分の故郷の「薩摩富士」だと、誇らしげに語った。

錦江湾を出て東シナ海に入ると、少し船は揺れだした。
しかし、大した揺れではなかった。

やる事かないので、いよいよ「だいやめ」が始まった。
鹿児島弁で言う、晩酌である。
鹿児島で買っておいた、「いいちこ」の蓋を開ける。
つまみを夕食にして飲んだ。
そうこうしているうちに、消灯の時間になる。
黒いビニール枕と毛布一枚で雑魚寝をした。
俺はすぐには眠れなくて、しばし1人で、「いいちこ」をちびりちびり飲んでから眠りについた。

翌朝早朝5時、奄美大島の名瀬港に着いた。
空も海も青い。
ここで、乗客の半分は下船する。
生活用品を積んだトラックも下りて行く。
俺達が下りる時に、昨日の沖縄に行く修学旅行の女子学生達が手を振って見送ってくれた。
こっちも振り返って手を振る。


奄美大島は快晴であったが、朝早すぎて店も何もやっていなかった。
自販機で買ったポカリスエットを飲みながら、埠頭に腰掛けて迎えを待った。
海が太陽光を反射して眩しかった。


ーつづくー