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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

夏のツアー(奄美大島観光) ~1991年8月その17~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
8月 1日 京都アザーサイド
8月 2日 大阪ニコチャン堂
8月 3日 神戸ステラ
8月 4日 六甲山カンツリーハウス
8月 5日 移動
8月 6日 移動
8月 7日 湯布院
8月 8日 大分ブリックブロック
8月 9日 天ケ瀬 水光園
8月10日 中津江 松原ダム
8月11日 宮崎ひまわり荘
8月12日~16日 フリータイム
8月17日 奄美大島
8月19日 加世田
8月20日 鹿児島T-BONE
フォーク系バンドは夏のツアーが稼ぎ時だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

8月16日早朝6時、鹿児島からのフェリーで奄美大島の名瀬港に到着し迎えを待った。

天気が良いが、日陰もない。
南国の夏の太陽は、朝からジリジリと熱い。
暫く港で待っていると、プロモーターさんが車で迎えにやってきた。
朝早すぎるので、取り敢えず、港から程近い彼の家へ向かった。
今日から二日間、ここでお世話になる予定である。
挨拶が終わり雑談をしていると、8時頃に彼は仕事に出ていった。
我々は、フェリーでの睡眠時間が短かったので、午前中は横になって過ごした。
何せ5時には起きて、下船の準備をしていたのだから無理もなかった。

プロモーターさんは、昼前に仕事から帰ってきた。
これから、食事の為にドライブをしてくれると言うので、彼のハイエースで出かけた。

名瀬の町は島の中程にあるが、北の空港の方へのドライブだった。

数十分行くと、綺麗な海が右手に見えてきた。
空港の看板を過ぎてさらに進む。
案内されたのは、島の北にある観光スポット「あやまる岬」だった。

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海の中に岬が吸い込まれている。
青い空に青い海が何処までも続く。
美しい絶景スポットだった。


暫く散策した後、食事に行く事になった。
近くに、連れて行きたい絶好のレストランがあるらしい。
そこは、車が沢山止まっている人気の店だった。
中に入り、窓際の座敷席に案内された。
メニューを見ると、奄美大島名物の「鶏飯」の店だ。

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「鶏飯」は、鶏のダシをかけた、奄美風お茶漬けである。
ご飯の上に乗るのは、見た目は冷やし中華の具に近い。
錦糸卵、甘辛く煮た千切りのしいたけ、パパイヤの漬け物のみじん切りが乗る。
もちろん、細かく割いた蒸し鶏のささみがメインである。
ゴマと細切りの海苔をふりかけてから、熱い鶏ダシを注いで食べる。
これを、冷たいビールと共に流し込むのだ。
本当に美味かった。
食欲のない夏にピッタリの食べ物だ。

 

昼食を兼ねたドライブを終えて彼の家に戻っても、まだまだ昼の陽は高かった。
一休みしてから、近くの海水浴場に出かける事に。
車で、一番近い海水浴場である「大浜海浜公園」まで送ってもらった。

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海岸の街道から階段で、砂浜に下りて行く。
砂が白い。
裸足で歩いても、足の裏に砂が付かない。
砂は日光で焼けて熱かった。

早速、物陰で海パンに着替えた。

水がきれいだ。
透き通っていて、海の底の白い砂が見える。
浜辺には数組の家族連れしかいなく、ほぼ貸切りだった。
海は遠浅で水遊びするには最適だ。
我々4人は、海から上がっても、砂浜に座って暫くこの美しい景色を見ていた。

大浜海岸での海水浴を満喫した頃、迎えの車がやってきた。
プロモーターさんは、自慢気に「海はどうでしたか?」と、聞いた。
もちろん、我々の答えは、「こんな綺麗な海は見たことがない。」
である。
しかし、彼曰く、大浜海岸などは序の口で、島の南部の加計呂麻では、更に綺麗な海が見られるらしい。

この夜は、名瀬の繁華街、屋仁川の居酒屋で歓迎会があった。
日焼けで火照った体に、冷たいビールが染み渡る。

明日の午後は、名瀬の公民館で行われる音楽祭にゲスト出演である。


ーつづくー