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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

夏のツアー(暴風雨の東シナ海) ~1991年8月その19~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
8月 1日 京都アザーサイド
8月 2日 大阪ニコチャン堂
8月 3日 神戸ステラ
8月 4日 六甲山カンツリーハウス
8月 5日 移動
8月 6日 移動
8月 7日 湯布院
8月 8日 大分ブリックブロック
8月 9日 天ケ瀬 水光園
8月10日 中津江 松原ダム
8月11日 宮崎ひまわり荘
8月12日~16日 フリータイム
8月17日 奄美大島
8月19日 加世田
8月20日 鹿児島T-BONE
フォーク系バンドは夏のツアーが稼ぎ時だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

奄美大島から鹿児島に帰る日がやってきた。
しかし、昨日のライブ前から降り出した雨は、激しさを増していた。
どうやら、大型の台風が奄美大島に接近しているらしい。
今日の夜のフェリーはなんとか出航するが、このフェリーに乗らなければ次の便は欠航となり、いつ船が出るか分からない状況だった。
明日は、鹿児島の加世田でライブの予定である。
何としても、このフェリーに乗らねばならない。

フェリーを逃したくないのは、誰しも同じで、乗り場は人で溢れかえっていた。

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行列に並び順番を待って、楽器を抱えながら、やっとのことで船に乗った。
乗れたのは良かったが、満席で二等の畳の座敷席には入れなかった。
船内は、通路の床にマットを敷いている状態だ。
さながら、台風の避難所の様になっていた。
おそらく、沖縄を出る時点で二等の自由席は埋まってしまったに違いない。
「あなた方も床でお願いします」と、誘導する船員に言われた。

すると、伝兵衛さんは、
「我々はミュージシャンである。」
「商売道具の楽器を持って乗船している。」
「床に大事な楽器を放置出来ない。」
「君は楽器の安全を保証出来るのか。」
と訴えた。

普段、温厚な伝兵衛さんが怒るのを初めて見た。
伝兵衛さんの圧に押れ、
船員は「少し待ってくれ。」と、言い残しこの場を去った。
暫くして戻って来ると、付いて来い、と言った。

彼に付いて行くと、二等の二段の寝台ベッドの部屋に案内された。
船には緊急用に部屋を余らせてあるのだ。

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ここならば、ベッドの上に楽器を置いて、カーテンをすれば、安心して眠る事が出来る。


奄美大島の名瀬港を乗客満載のフェリーが出港した。
港の防波堤を出た途端、船は大きく揺れた。
台風がせまる東シナ海の嵐は半端なかった。
体感では、2階から1階に落ちる位の揺れだ。
それがずっと繰り返される。
木の葉のように揺れるとは、正にこの事だと思った。
横になって寝付けないでいると船酔いしてしまう。
流石に、寝酒を飲む気もしなかった。

そのうち、船酔いで気分が悪くなり、便所に向かった。
便所に行こうと思っても、手すりを伝って行かなければ、歩く事も出来ない。
そして、行くまでの床には、マットが敷かれ、人が寝ているのである。
やっと便所に着いても、何も出なかった。

寝台に戻り、再び横になる。
俺は、吐きそうになりながら、なんとか堪えた。
ウトウトするだけで、熟睡出来なかった。


やがて、外が明るくなってきた。
彼方に開聞岳が見えてくる。
もうすぐ錦江湾である。
だんだん波がおさまってきた。
助かった。
あと数時間で鹿児島に到着する。

 

ヘロヘロになりながら鹿児島上陸。
しばらく地面が揺れていた。
気分が悪くなると、車は止まってくれるが、船はそうもいかない。
24時間の機材車での移動を耐えてきた俺だったが、今までで一番つらい乗り物酔いだった。

朝の鹿児島は、昨晩の嵐が嘘の様に晴れていた。


ーつづくー