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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

夏のツアー(青島海水浴) ~1991年8月その13~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
8月 1日 京都アザーサイド
8月 2日 大阪ニコチャン堂
8月 3日 神戸ステラ
8月 4日 六甲山カンツリーハウス
8月 5日 移動
8月 6日 移動
8月 7日 湯布院
8月 8日 大分ブリックブロック
8月 9日 天ケ瀬 水光園
8月10日 中津江 松原ダム
8月11日 宮崎ひまわり荘
8月12日~16日 フリータイム
8月17日 奄美大島
8月19日 加世田
8月20日 鹿児島T-BONE
フォーク系バンドは夏のツアーが稼ぎ時だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

8月12日の朝、ひまわり荘をチェックアウトした。
その日、伝兵衛商会は時間を持て余していた。
この後の予定は、15日の夕方に鹿児島から奄美大島行きのフェリーに乗るまで、3日間予定は無かった。
そこで、今日は宮崎を観光する事になった。
時は、真夏の8月。
迷わず海水浴に向かった。

宮崎市内から、海岸沿いを南に下る。
昔は新婚旅行のメッカであった、青島へ。
めちゃくちゃ天気が良くて、絶好の海水浴日和だ。


青島海水浴場の駐車場に車を止めると、機材車の脇で海パンに着替えた。
そして、4人のおっさん達は海に向かった。

海水浴と言っても、海に浸かる程度だ。
しかし、暑いので気持ちが良い。
暫く、海の中を漂っていた。

海から上がると、海パンのまま、海岸の街道沿いの店に入る。
名物のかき氷があるらしい。

フルーティーなかき氷は、東京では食った事が無かった味だ。
かき氷を食べ終えると、伝兵衛さんは、店のおばちゃんに水を借りるよ、と言って、店の裏手にあった水道のホースで水浴びを始めた。

おいおい、周りには海の家が並び、シャワー有料って書いてあるぞ。
そんな事は気にも留めず、平気でガンガン体を洗う伝兵衛さん。
俺も見習って水浴びをしたけど、これが九州流なのか。
江の島や九十九里でこんな事をしたら、怒鳴られるのは必至だ。

さっぱりすると、機材車の脇で服に着替えてから、鬼の洗濯岩を散歩した。

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メンバーは皆、ビーチサンダルも用意している。
夏の九州ツアーに慣れているのだ。

宮崎の海を満喫した後、宮崎市内に戻り高速で鹿児島に向かった。


この頃は、まだ高速道路がえびのから鹿児島まで繋がっていなかった。
途中から高速を降りて、ループ橋をグルグルと回って下って、一般道を走らなければならなかった。

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そこから先は、再び高速道路が鹿児島まで繋がっていた。

今夜から数日は、鹿児島のベーシスト吉見さんの実家にお世話になる事になっている。

実家に近い、山田インターに着く頃には、もうすっかり日が暮れていた。
吉見さんのお母さんは、一軒家で一人暮らしをしていた。
こんなに賑やかなのは久々らしく、我々を大歓迎してくれて、手料理でもてなしてくれた。
お母さんはビール、他の人は夏なのに、芋焼酎のお湯割りで宴会になった。
芋焼酎が苦手な俺だけは、いいちこのロックを飲んでいた。


そうそう、鹿児島に入る時に、吉見さんには、酒屋にいいちこがあったら買い置きをしておく様に言われた。
鹿児島では、麦焼酎を置いていない店も多いらしい。

 


ーつづくー