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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

年越しライブからの大塚まさじ邸 ~1992年1月その1~

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1992年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1992年1月1日 横浜Buddy 0:30~
大晦日の年越しライブだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

1991年の大晦日。
この日は、横浜のBuddyという店で年越しパーティーで演奏した。
店の場所は横浜駅西口からは15分位か。
浅間下交差点の近くにあったバーだ。
小さな木造の店で、店の外にはバドワイザーのネオンが輝くアメリカンな店だ。
俺の通った大学の近くなのだが、この店の存在は全く知らなかった。
横浜のライブハウスと言えば、ジャズは関内のエアジン、ロックは桜木町のシェルガーデン、黄金町のグッピー位か。

この店には何度も出ていた。
本番を終えると、マスターが必ず生ビールを奢ってくれた事を覚えている。
小さい店だったから、ドラムセットではなく、スネアとハイハットだけで演奏していた。
0:30~と手帳に書いてあるので、カウントダウンが終わって年が明けてからの演奏だったのだろう。
結構お客さんがいた記憶がある。

ライブを終えると、そのまま葉山まで走るらしい。
俺はてっきり、平塚の伝兵衛さんの家に行くのかと思っていた。
しかしそれは、大塚まさじ邸で行われている新年パーティに参加するためだった。
横浜西口から葉山までは、元旦の夜中なので1時間かからない。
夜が明ける前に葉山に着いた。

森戸海岸の駐車場に車を止めて、そこから5分ほど歩いた。
まさじさんの家は葉山の海からほど近い、細い道を入った平屋の一軒家だった。
呼び鈴を鳴らすと、まさじさん自ら出迎えてくれた。
家に案内されると、テーブルや窓には東南アジア風の布が掛けられ、古いフォークやヒッピーを思わせる内装だ。
そこではすでに、マンドリンブラザース等5~6人のミュージシャンがちゃぶ台を囲んで飲み会をしていた。
テーブルには酒のつまみが並び、日本酒の一升瓶が置いたあった記憶がある。
伝兵衛さんが用意していた差し入れの日本酒を渡して宴会に加わった。

マンドリンブラザースのANNSANは、もう出来上がっている様だ。
遅れてやって来た我々に、飲めーと言う。
マンドリンブラザースのANNSANには夏のツアーで会った事があるので顔見知りだった。
俺が酒飲みと知っているANNSANはどんどん酒をついでくれた。
そうこうしている内に、だんだん外は明るくなって来た。


まさじさんがもう初日の出が上がってしまうぞ、と言う。
大急ぎで、初日の出を見るために海岸へ。
目指すは森戸神社だ。
まさじさんが先頭に、伝兵衛さん、まさじさんの息子の月君と一緒に海岸へと歩いて行った。
寒いけれども、凛とした正月の朝だった。
すでに、近所の人が大勢集まっていた。
神社ではお神酒を配っている。
もちろん一杯貰った。

暫くすると、初日の出が神社の鳥居越しに上がってきた。
とてもきれいだった。

明るくなったその後は、月君と磯遊びをした。
彼はこの辺に詳しく、岩場を走りまわっている。
俺は何故か子供にだけはモテるのである。




その後、大塚まさじ邸に戻り新年の挨拶をして退散した。
来年も又来るのだろうと思った。
しかし、この1回きりだった。


ーつづくー