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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

冬のツアー(大塚まさじさん) ~1991年12月その2~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
12月10日 葉山12時
12月11日 横浜Buddy
12月12日 茅ヶ崎R'S Stage
12月13日 移動日
12月14日 移動日
12月15日 淡路ジョルジュ(ロイヤルグレースホテル)
12月16日 神戸ステラ
12月17日 芦屋クリスマスパーティー
12月18日 和歌山オールドタイム
冬のツアーだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

12月、冬のツアーが始まった。
伝兵衛商会は、ベーシストが代わって初めてのツアーだった。
そして、この冬のツアーの主役は大塚まさじさんだったのである。

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12月10日、葉山に行ったのは、まさじさんが葉山に住んでいたからだ。
まさじさんは、葉山海岸の森戸神社近くの小じんまりとした、古びたお洒落な平屋の家に住んでいた。
小さなお子さんもいた記憶がある。

 

「大塚まさじ」プロフィール(ホームページより抜粋)

1950年、大阪府茨木市に生まれ。 
1969年大阪・難波元町の小さな喫茶店「ディラン」のマスターとなる。
ここで西岡恭蔵、中川イサト、友部正人、加川良など、今も交際が続く多くの人たちと出会う。
ディランの常連の中からザ・ディランが生まれ、現在も継続中の大規模な野外コンサート「春一番」が始まり、店は関西音楽シーンの伝説的な場所となる。

1971年に永井ようとザ・ディランIIを結成。シングル「男らしいって解かるかい/プカプカ」でレコードデビュー。 
1974年の解散までに「昨日の思い出に別れを告げるんだもの」など5枚のアルバムを残す。 
1976年、ジャズテイスト溢れるアルバム「遠い昔ぼくは…」でソロデビュー。

以後、「風が吹いていた」

風が吹いていた

風が吹いていた

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「海と空 月と闇」

海と空 月と闇

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「STREET STREET」

STREET STREET

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「アイノウタ」

アイノウタ deluxe(デラックス)

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「風のがっこう」

風のがっこう

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「一輪の花」

一輪の花

一輪の花

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など毎回、趣の異なるアルバムを発表し続けている。
1985年 から全国ひとり旅ツアーを開始する。

伊太地山伝兵衛と知り合ったのも、この頃ではないかと思う。



俺は何度かフェスなどでご一緒させて頂いて、顔位は覚えて貰っていた。
そして、今回の冬のツアーのジョイントライブの為に、打ち合わせに葉山の大塚まさじさんの家に行ったのだと思う。
淡路島のライブでは、まさじさんの持ち歌の「プカプカ」や「コーヒールンバ」を一緒に演る事になった。
あまり覚えていないが、俺と伝兵衛さんと二人だけで行った気がする。
吉見さんが辞めてから、桑名晴子さんとSHOさんが、新宿の「日清パワーステーション」でライブをする時なども、伝兵衛さんと俺の二人で楽屋挨拶に行った。
それ位、俺は伝兵衛さんに信頼されていると思っていた。

大塚まさじさんとは、神戸での再会を約束して我々は葉山を後にした。

 

翌日は、淡路島でのジョイントライブで演る曲のリハーサルのため、「横浜Buddy」「茅ヶ崎R'S Stage」と湘南で2本続けてライブをやった。
新しいベーシスト、矢野君との連携を確かめる為もあった事は言うまでもない。

そして、その夜そのまま西へ走り出したのである。


ーつづくー