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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

赤坂ラーメン ~1991年3月その1~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動していた。

 

1991年3月
11日 16:00 八幡山サムシングエルス

14日 新宿サウンドハウス
15日 高円寺稲生座
伝兵衛商会の東京ライブだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

伝兵衛商会は、京王線の八幡山にあった、「サムシングエルス」に出演した。
この小屋には、数回しか出演しなかったと思う。
八幡山駅近くの商店街のビルの二階にあった、小綺麗なジャズ系のライブハウスで、喫茶店の様な造りをしていた。
ソファーに座って、客入りを待っていた記憶がある。

そして、この小屋の近くには、有名なラーメン屋があった。
皆でラーメンを食べた事を覚えている。
「赤坂ラーメン」と言う店で、なんでも屋台のラーメン屋から成り上がったらしい。
当時は人気店で、ライブより、ここでラーメンを食べる事が楽しみだった。
味は、当時東京では珍しいとんこつ系だった。

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リハーサルが終わり、早速駅の高架下の赤坂ラーメンに行ったが、まだ準備中であった。

しかし、もう行列が出来ているではないか。
並んで開店まで待って、ラーメンを食べた。
それまで、ライブ開演はお待たせだ。
大体、お客さんの入りが悪く、開演出来ない状態だったから仕方がない。

昔は赤坂の路上の屋台から出発したこのお店は、屋台を辞め、店舗でラーメンを出す様になった。
そして、芸能人も良く通う超人気店となったのだ。

俺の記憶では、ラーメン屋の店舗の中に使わなくなった屋台を記念品として置いてあった様な。 
そして、店主が偏屈な親父だった気がする。
それにしても、ラーメン屋の親父は、何故いつも機嫌が悪いのか。
テレビで見た事のある、頭にタオルを巻いた頑固親父が店を開けて、やっと、ラーメンにありつけた。
しかし、この店は、もう閉店してしまったらしい。

 

伝兵衛商会のジャズブルースは東京ではあまり熱狂的には受けなかった。

関西、九州以外では、小屋が満員になった事なんて無かった。

しかし、関西の人の方が、泥臭いブルースやフォーク好きなのだろう。
大阪、神戸では絶大な人気があったのである。


そして、もうすぐ春のツアーが始まる。

 


ーつづくー