伝兵衛商会大晦日ライブ ~1990年12月その4~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1990年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動する事になった。
1990年12月31日
21:30~22:00 新宿サウンドハウス
23:00~00:30 横浜バディ
1:30~平塚
大晦日の伝兵衛商会ライブだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
90年の大晦日、伝兵衛商会はライブハウスをハシゴしていた。
まずは、「新宿サウンドハウス」。
21:30から30分のステージをやっているが、全然覚えていない。
手帳に書いていなければ、出演した事も忘れていた。
紀伊國屋書店の脇のビルの地下にあった小屋らしいが、店の内部も思い出せない。
次は、新宿から横浜に移動して、23:00に「横浜バディ」へ。
バディは結構お客さんが入っていて、外で生ビールを飲んでから、人をかき分けてステージに行った記憶がある。
アンコールも含めて、この時出来る曲をほとんど演奏した。
そして、新年のカウントダウンを任された。
5・4・3・2・1・ゼロ
年明けと共に、「日の出ブルース」を演ったのかな。
熱気があるステージで、とても受が良かった。
俺は、最後は立ち上がってドラムを叩いた。
そして、1:30には、平塚の「マハリクマハリタ」へ。
新年パーティーに乱入した。
カウントダウンが終わって、初詣に行った人もいたのだろうが、ここでも残っていた酔っぱらい客相手に大いに盛り上がった。
マハリクを出た時には、もう外は明るくなっていた。
こんな日にも、伝兵衛さんは一滴も酒を飲まなかった。
一口だけ舐めたグラスがカウンターに置かれていた。
機材車の運転があるからである。
ライブ後は、伝兵衛さんの家で正月を迎えた。
やっと皆で乾杯をすることが出来た。
俺は何も予定が無かったので、何日か平塚に居たのかな。
この後、新年の91年は、怒涛のツアーが待っていた。
ーつづくー