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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

月イチのライブ ~1991年2月その1~

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高円寺稲生座

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動していた。

 

1991年2月6日 横浜バディ
               15日 高円寺稲生座
伝兵衛商会、月イチのライブだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

伝兵衛商会は、この時期、相変わらず横浜バディと高円寺稲生座にレギュラー出演していた。

俺は、地味で小さなこれら店をナメていたのかもしれない。
元々、新宿ロフトなどの小屋に出入りしていたので、こんな小さな小屋など知らなかったのである。

しかし、月イチのライブが実を結び、だんだんと常連のお客さんが増えてきた。
自作の小口径バスドラムの「イナオイ君」は小さな店でも設置出来て大活躍だった。

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 そして、ブラシも色々な物を試した。
俺が、最初に使っていたのは、パールのナイロンブラシだった。
これは、学生時代に、つのだ☆ひろさんのドラム教室で使った物だった。
ナイロンブラシの良い所は、折れ曲がらない事だ。
音は、滑らかで音量も小さい。

初めはこれで良かったのだが、段々とアクセンントやアタック音が欲しくなってきた。
そして、最終的に落ち着いたのが、定番のリーガルチップのワイヤーブラシだった。

 これは、後ろから押し出す事でワイヤーの長さが調整出来るので、短くするとワイヤーが固くなり、アタックがし易いのである。
押し出す金属の丸い部分を少し曲げると、ワイヤーの表裏が分かりやすくなる。
ワイヤーの先は斜めに切断されていて、実は表と裏があるのだ。
唯一の欠点は、ワイヤーが折れ曲がると治らない事だ。

 

お客さんは、初めのうちは、九州出身の友人や、自分も弾き語りをしている人などだったが、ライブを重ねるうちに、少ないが、固定ファンは来てくれる様になった。

そのうちの1人が矢野君だった。
彼は、地方出身(新潟だった様な気がする)のベーシストだった。
ライブ後も残り、話をして、段々と伝兵衛商会のベースの吉見さんの弟子の様な存在になっていた。


そして、約1年後、吉見さんの代わりに、伝兵衛商会のベースになるのである。


ーつづくー