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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

三軒茶屋味とめ ~1991年2月その2~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動していた。

 

1991年2月28日 19:00 味とめ
三軒茶屋の割烹居酒屋だ.。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。 

三軒茶屋の割烹居酒屋「味とめ」にはよく行ったものだ。
おばちゃんと息子がやっている三軒茶屋駅北側のすずらん通りのアットホームな店である。
小上がりとテーブル席があり、カウンター席はあるがほとんど物置きになってしまっていた。

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この店の驚くべき所は、その品数の多さだ。
壁一面にメニュー書きの紙が貼られていた。
客席に、小皿が置かれているのも面白い。
皿は自分で取るシステムだ。

人気はクジラベーコン。
鍋も一年中やっている。
何を食っても美味いのだ。
呑兵衛の楽園である。

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そして、この店の一番の売りは、元気の良い「おばちゃん」である。

誰にでも気さくに話しかてくる「おばちゃん」が人気なのであった。


多分この日は、伝兵衛商会のベースの吉見さんと行ったのかな。
あるいは、鹿児島ルシファーのベーシスト浜田だつたかもしれない。

どちらにしても、閉店ぎりぎりまで居たのは間違いない。


実家を離れてからは随分行かなくなってしまった。

まだ、営業しているなら、コロナ禍が終わったら行ってみるかな。


ーつづくー