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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

ギターの恒ちゃん ~1991年6月その4~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
6月15日 六本木
6月16日 茅ヶ崎 R'sステージ
6月17日 平塚 マハリク
6月18日 神戸 セカンドチャンス
6月19日 撮影
6月21日 高円寺稲生座
神戸から帰り、月例の稲生座へ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

神戸でポスターの写真撮影を終えて、20日は平塚の伝兵衛さんの家に戻った。
そこで一泊して、翌日の、高円寺稲生座でのライブに備えた。

伝兵衛商会のツアーの組み方は、都内で始まり、都内で終わるのが基本だ。
都内に住む俺とベースの吉見さんを送迎する手間が省けるからだ。
伝兵衛さんは、この頃、平塚の川沿いの平屋のアジトから、同じ平塚の街中の2階建ての小奇麗な一軒家に引っ越していた。
この家には、伝兵衛さんと伝兵衛さんの彼女と恒ちゃんの3人で暮らしていた。
1階には伝兵衛さんと彼女がいるので、俺は殆ど2階の恒ちゃんの部屋にいた。

恒ちゃんとは、この辺りから特に親しくなった。
一緒にいる時間が長くなって、色々な話をした。
彼は、鹿児島の指宿出身で、実家は鰹節工場を営んでいる事。
好きなギタリストは、ラリー・コリエルだと云う事。
そういえば、どことなく風貌も似ている。

Lady Coryell

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左から二人目が恒ちゃん。

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 彼にはジャズギターの名作を数々教わった。
借りたまま返していないビデオもまだ持っている。

争いを好まない温厚な彼は、伝兵衛商会の中でも人気が高かった。
何せ、ギターが上手い。
その理由は、彼の部屋に行って一緒にいると、すぐに分かった。
ずっとギターを弾いているのだ。
食事の時以外は、常にギターを抱いている。
彼の愛器は、オベーションのアダマス。

伝兵衛さんがスーパーアダマスを持っているので、彼はあえて普通のアダマスを選んだと、俺は邪推している。
常に一歩引いている。
そういう性格なのだ。

そんな彼にも唯一嫌いな所があった。
これは、長い事ツアーを廻って分かった事なのだが・・・。

 

彼は、ギターを弾く時は右なのだが、普段は左利きなのである。
何故かいつも俺の右側にいる。
初めは全然気にならなかったのだが、何週間もツアーで生活を共にしていると、些細な事が気になって来る。

嫌いな所とは・・・。

食事の度に、肘が当たるのである。
他のメンバーは気にもしていないが、俺にとっては大問題である。
長い事同じメンバーで居ると、不思議な事に車の座る位置、食事の着席位置が決まってくるのだ。

何度か言ったと思うのだが、最後には忘れていつもの通りになってしまうのだ。
本当に共同生活は大変である。

きっと、恒ちゃんも言わないだけで、俺の気に入らない所が有ったんだろうな。


ーつづくー