ポスター撮影 ~1991年6月その3~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。
1991年
6月15日 六本木
6月16日 茅ヶ崎 R'sステージ
6月17日 平塚 マハリク
6月18日 神戸 セカンドチャンス
6月19日 撮影
6月21日 高円寺稲生座
神戸の写真スタジオで撮影した時だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
18日の神戸でのライブの後、俺は一人で姫路に行った。
翌19日の午前中に姫路城を見学すると、昼には新快速で姫路から神戸に戻った。
今日は、神戸でポスターの写真撮影をする予定である。
三ノ宮の駅前で伝兵衛商会のメンバーと落ち合うと、車で写真撮影に向かった。
まだ明るかった事を覚えているので、午後イチくらいの時間だったのだろう。
連れて行かれたのは、立派な写真スタジオだった。
INGスタジオと云う所で、Carlyさんと云うヒゲをたくわえた強面のカメラマンさんが写真を撮ってくれる。
お弟子さんが何人もいて、撮影の手助けをしてくれる。
我々は、服を着替えて準備をした。
いつも汚い格好をしていた我々四人に、この日の為に神戸のファンから、インドネシアの伝統衣装のバティックのシャツをプレゼントして貰っていた。
床が曲がっていて影が出ない白壁の前で四人が並んだ。
Carlyさんが写真を撮りはじめる。
連写するので凄い枚数だったと思う。
並ぶ順番を変えたり、服を変えたりしてさらに撮る。
最終的には、
左から、吉見さん、恒ちゃん、伝兵衛さん、俺が並んだ。
3人は、プレゼントで貰ったバティックのシャツを着た。
俺だけは、自前の白のウエスタンシャツだった。
目立ちたがり屋の俺らしい選択だ。
四人並んでポーズを決める。
Carlyさんは連写でシャッターを切り続ける。
多分、数百枚は撮ってもらっただろう。
小一時間も撮影しただろうか。
その後、そのなかから良い写真を選ぶ。
ポスターの出来上がりが楽しみだ。
この日は、撮影終了後は何も予定が無かったので、三宮で飲み会になった。
後日、ポスターが出来上がった。
デザインは、心斎橋のニコチャン堂本舗のライブで出会った「リキュウ」さんだ。
青いベース色に、ハート文字芸術家の「リキュウ」さんが、ど真ん中に白の筆字で「伊太地山伝兵衛商会」。
その上には、狐の様なイタチが描かれている。
周りには、「月」とか「土星」とかが飛んでいる。
キャッチタイトルは、Jazzy comfortable。
青いベース色は、夜空に響くブルースの音色をあらわしているのだろうと思った。
神戸で撮ったCarlyさんの写真は、右上にバッチリとキマっていた。
・左端の吉見さんは、ドッシリと腕を組み微笑む。
ベーシストらしく、優しく包み込んでくれる感じだ。
・大人しい性格のギタリストの恒ちゃんは、目を逸らして一歩後ろに下がっている。
恒ちゃんは、見せ場の甘いギターソロまでは引っ込んでいる人なのだ。
・伝兵衛さんは、腰に手を当て自信満々だ。
バンドが軌道に乗って、誇らしげに見える。
・右端の俺は、横向きでイタズラ小僧だ。
皆と違う白のシャツで、目立とうとしている。
良い写真だった。
それぞれの個性と性格が、実に良く現われている。
夏のツアーでは、このポスターを持って、行く先々で貼りまくる予定だ。
ーつづくー