平塚七夕祭り ~1991年7月その1~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。
1991年
7月 6日 高円寺稲生座 平塚
7月 7日 平塚七夕祭り
7月26日 茅ヶ崎 R'sステージ
平塚の七夕は盛大だった。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
7月6日、翌日の七夕祭りライブの為に前乗りし、平塚の伝兵衛さんの家に泊まった。
日本三大七夕祭りの一つに数えられている平塚の七夕祭りは有名で、テレビのニュースでは見た事があった。
(この年平成3年は、7月4日~8日開催期間中に、のべ353万人が訪れたらしい。)
翌日の午後、平塚「マハリクマハリタ」に出演する為に出発した。
普段なら15分位で着くのだが、すごく渋滞している。
車は交通規制で街中に入れないのだ。
仕方なく、街はずれから楽器を担いで歩く事になった。
この時、平塚駅では人が多すぎて、電車が止まってもプラットホームに降りられないという事態が起きていたらしい。
街に入ると、日本中のテキ屋が来ているのではないかと思う程、屋台が出ていた。
商店街には、七夕飾りも吊るされてはいるが、目を引くのは、商店街の両側を埋め尽くしている屋台の方である。
その屋台の列の間を大勢の人が埋め尽くしているのである。
人通りの多い道を避けて、ようやく今夜演奏する「マハリクマハリタ」に到着した。
やっと辿り着いた地下の店は、地上の騒ぎとは無縁でひっそりとしていた。
楽器をセッティングして、軽く音を出してから、本番までの時間を地上の七夕祭りで過ごした。
この日は、パーティーだったので、他の出演者もいたと思う。
出番間近になって、店に戻ってみたが、椅子席が埋まるほどの客入りだった。
外で煙草を吸ってから、いよいよ本番へ。
演奏を始める。
曲は、「ウェスが聴こえる」、「雀荘のエッちゃん」、「レディー・フォー・セール」「風の吹く街」等。
スタンダードでは、「ジョージア・オンマイマインド」、「オール・オブ・ミー」。
そして、新曲の「湘南レイニーブルース」。
約1時間のステージだった。
終了後に、ビールで乾杯。
夜には地上の祭りも終わり、交通規制も解けて、店の前で車に楽器を積み込んだ。
この日は、そのまま東京に送ってもらった気がする。
本来は7月6日に高円寺の稲生座でライブがあったはずだが、手帳には棒線で取り消されている。
それ故、行きも帰りも送り迎えしてもらう事になった。
平塚や茅ヶ崎の単発のライブは、本当に申し訳なかった。
※コロナ禍の今年「湘南ひらつか七夕まつり2021」は、中心商店街での交通規制は実施せず、大型飾りやパレード、露店出店等は行わない事になった。
ーつづくー