アバコスタジオ ~1991年3月その2~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1991年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動していた。
1991年3月27日 17:00 アバコスタジオ
P-MACHINEのデモテープの収録だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
「P-MACHINE」は、TBSテレビの「いかすバンド天国」で仮イカ天キングとなったものの、人気は一時的なものだった。
確かに、暫くはお客さんが増え、何人かの固定ファンもついた。
新宿ピットインなどでは、イカ天ナイトで、テレビに出演したバンドとも対バンを組んだりもした。
そんな時、キーボードKの知り合いのいる、早稲田にあるアバコスタジオで、デモテープの収録をする事になった。
アバコスタジオは、CMの収録とかメジャーミュージシャンのデモテープを撮ったりする老舗スタジオだ。
夕方、スタジオに機材を運び込んでセッティング。
アバコスタジオにはオーケストラから、小規模バンドまで、色々なスタジオがあった。
この日は、小人数用の302スタジオでのレコーディングだ。
それでも驚くほど広い。
買ったばかりのソナーのドラムセットを持って行ったので良く覚えている。
ソナーとは、東ドイツのオーケストラ楽器メーカーで、この頃日本に輸入され始めたばかりだった。
少々値段はお高い。
皮の張りを調整するネジの頭は、普通は共通の四角形だが、ソナーだけは丸いマイナス型だ。
そして、そのネジも真円でなく、振動で緩まなくなっているのだ。
その為に、純正のネジ回し(チューニングキー)でないと回せない。
少し不便であるが、なんかステータスを感じる。
色はローズウッドで、胴の厚みの薄いソナーライトというモデルだった。
普通のソナーライトはスカンジナビアンバーチでもっと明るい色なのだが、ローズウッドは珍しく、衝動買いしてしまった。
サウンドチェックが始まる。
バスドラ、ずどーん。
タムタム、すとーん。
スネア、すたーん。
初めて本格的に叩くソナーの音。
バスドラとフロアタムは当たりだ。
アバコスタジオは天井の高さが10メートル位あり、無茶苦茶ナチュラルリバーブがかかる。
それに相まってソナーの音が図太い。
何曲録ったのかは忘れた。
手帳には22:00までと書いてあった。
この時の音源は残っていない。
そして、その後バンド「P-MACHINE」は空中分解、解散となった。
伝兵衛商会でツアーバンドの面白さを知ってしまった俺には、何の未練も無かった。
ーつづくー