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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

春の関西ツアー(ラジオ関西編) ~1991年5月その8~

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ラジオ関西 旧須磨社屋

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
5月 6日 新宿サウンドハウス
5月 7日 平塚マハリク
5月 8日 豊橋バークレー
5月 9日 名古屋パラダイスカフェ
5月10日 神戸セカンドチャンス
5月11日 京都アザーサイド
5月12日 和歌山オールドタイム
5月13日 大阪ニコチャン堂
5月14日 ラジオ関西出演
5月15日 藤井寺バグース
5月16日 三重 転石舎
1回目の関西ツアーだね。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

5月14日は、ラジオ関西に出演した。
ブルースギター&歌手の有山じゅんじさんの番組に、ゲストとして出させてもらったのだ。

 
有山じゅんじさんは、1973年 「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」の結成に参加。
その後、上田正樹さんは、1982年にリリースした「悲しい色やね」の大ヒットで知られている。

 

1990年に3年ぶりのソロアルバム「聞こえる、聞こえる」を発表する。
1991年のこの頃も、ソロ活動していた。

聞こえる聞こえる

聞こえる聞こえる

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ラジオ関西の放送スタジオに入ったのは、午後のまだ明るい時間だった。
場所は、神戸だったのだが、スタジオは1階にあり、思ったよりも狭かった記憶がある。

伝兵衛さんを先頭に、メンバー全員がスタジオに入った。
ブースの奥に、有山じゅんじさんがいた。
挨拶を交わし、席に着く。
じゅんじさんの向かいには、伝兵衛さんが座り、俺は一番奥の左端に座った。
各々の前にはマイクが置かれていた。

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 直ぐに放送が始まった。


(じゅんじ)「どうも皆さんこんにちは~、有山じゅんじです。今日は東京から来たバンド、伊太地山伝兵衛商会を紹介しま~す。」

(伝兵衛)「どうも、伊太地山伝兵衛です。ギターのツネ、ベースのスリッパー、ドラムのビッケ。四人合わせて伊太地山伝兵衛商会と申しま~す。」

(じゅんじ)「今回は、ツアーで関西を周っているらしいね~。」

(伝兵衛)「そ~なんですよ。豊橋を皮切りに、名古屋、神戸、京都、和歌山、大阪と来まして、あと明日は藤井寺のバグース、明後日は三重県津の転石舎でライブをやりま~す。」
と、ツアーの宣伝をさせてもらった。

その後、各メンバーにもインタビューがあった。
恒ちゃんと吉見さんは何と言ったのか覚えてないが、俺は「日本一のフォークドラマー目指します。」
みたいな事を言った気がする。

放送終了後、有山じゅんじさんと握手して、ラジオ関西を後にした。


放送を聴いた覚えが無いので、生放送だったのだろうか?
ラジオ放送を聴いていたならば、酒のサカナになっていたはずである。
そう言えば、吉見さんはいつもサンダルを履いていたので、伝兵衛さんにスリッパーと呼ばれていた事を思い出した。


この後は、予定が何も無かったので、メンバー皆でセカンドチャンスに飲みに行ったのかな。
場所はともかく、間違いなく三宮で飲んだと思う。


ーつづくー