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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

平塚のアジト ~1990年11月その3~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1990年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動する事になった。

1990年11月13日 12:00 平塚
平塚の伝兵衛さんの家へ行った。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

伊太地山伝兵衛商会は、すでに11月末に桑名晴子さんとのジョイント九州ツアーが決まっていた。
新メンバーの俺を加え4人となった伝兵衛商会は、本拠地の平塚で急いでリハーサルを始めた。

ドラムの俺とベースの吉見さんは都内、ギターの恒ちゃんは、ギターボーカルの伝兵衛さんと一緒に平塚郊外の川沿いの一軒家に暮らしていた。

伝兵衛さんは、日産キャラバンで俺と吉見さんを都内からピックアップして、平塚の自宅に連れてきた。
平屋の一軒家なので、昼間はアコースティックならば音が出せた。
その為に、この一軒家を借りていたのだろうと思う。

そこには、散らかった和室の部屋には似つかわしくない、アダマスのギターが2本並んでいた。
一本は、伝兵衛さんのスーパーアダマス。

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もう一本は、恒ちゃんのアダマスである。
他にも、オベーションとアコースティックギターが数本あった。

俺は吉見さんから、伝兵衛商会のデモテープを貰っていて、家で練習していた。
忘れたが、この時、平塚にはスネアドラムだけを持って行ったと思う。
もしかしたら、スティックとブラシだけだったかもしれない。
新聞紙をスネア替わりにしていた様な記憶もあるのだ。

明るい内に四人で音合わせをして、夜になるとその録音を聞きながら意見を言い合い、朝まで飲んで、翌日に都内まで、キャラバンで送ってもらった。
これ以降もしばしば平塚に行く事になるが、俺は電車で行った事はない。
全て、伝兵衛さんが送り迎えしてくれたのだ。
それほど、彼は「まめ」で、無駄の無い漢だった。


最初の出合いの新宿の貸しスタジオでのリハーサル以外は、平塚のアジトでの練習か、平塚駅商店街の地下に有った「マハリク」と云う仲の良いライブバーを開店前にタダで借りてのリハーサルだった。
貧乏バンドは、スタジオ代を極限まで浮かせていたのである。

この後も、泊まりこみの合宿が何度かあった。
練習して、飲みながらその録音を聞いて、食料を買い出しに行っては、また練習する。

そして、俺は、ほとんどの曲をブラシで叩く事を要求されていた。
しかし、少し音量が欲しい曲もある。
俺は、スティックとブラシの「あいのこ」の様な物をみつけた。
「ブラスティック」である。

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持ち手はスティックだが、半分から先は竹ひごを束ねた様な物だ。
音はスティックよりも小さいが、使い方はスティックと同じである。
これを使う曲とブラシを使う曲を選んで演奏しようと考えていた。


こうして、初めての九州ツアーに向かう事になったのである。


ーつづくー