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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

初めての九州ツアー(車移動編) ~1990年11月その4~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1990年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動する事になった。

 

1990年11月21日 移動
                   22日 大分着
                   23日 打ち合わせ
                   24日 大分ブリックブロック
                   25日 宮崎
                   26日 博多
                   27日 博多
                   28日 移動
                   29日 高円寺稲生座
伝兵衛商会の初めての九州ツアーだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

11月20日の午後、俺とベースの吉見さんは、伝兵衛さんに都内で車で拾ってもらった。
パールの3点セットのドラムを積み込んだと思う。
そして、平塚の伝兵衛さん宅に向かった。

明日の出発に備え、飲みながら曲のおさらいをした。
この時、ツアーの為に用意した曲は。

「伝兵衛商会のテーマ」
「レディー・フォー・セール」
「オール・オブ・ミー」
「風のない部屋」
「ジョージア・オン・マイ・マインド」
「雀荘のえっちゃん」
「上を向いて歩こう」
「ウェスが聴こえる」
「日の出ブルース」
こんなセットリストだったと思う。


翌11月21日の朝、平塚のアジトを出発した。

メンバー4人を乗せた日産キャラバンは、厚木インターから東名高速に乗って西に向かう。
伝兵衛商会は、俺のドラムセットの他には小さなアンプしか積んでおらず、普通のツアーバンドよりは荷物が少ない。
楽器は、アダマス2本と、エレキベースと予備のオベーション位だ。
俺は助手席で運転手の話し相手、兼、出納係だった。
経費が入った封筒を預かり、高速代やガソリン代を払うのだ。

キャラバンは、順調に高速を進んでいく。
途中で運転手を換えて、なるべくノンストップで西に走る。

高速の道中では、サービスエリアでの飯が最大の楽しみとなる。
話題は、どこからうどんの汁は黒くなくなるのか、になった。
そのために、休憩の度に、うどん屋を覗きに行く。
ほぼ全てのパーキングにはうどん屋がある。
皆の予想は、名古屋だった。
しかし豊田市の上郷パーキングの汁はまだ黒かった。
関ケ原を超え、大津で見事な澄んた出汁となった。
やはり、日本の東と西を分けるのは、関ヶ原ということが解った。
こんな事をしながら、西へと進んでいった。

  名神高速の豊中を超え、兵庫県に入った。
俺は、九州へは神戸からフェリーに乗ると聞いていた。
フェリーに乗るならば、左に折れて阪神高速で神戸方面だ。
しかし、車は真っ直ぐ中国道に入った。

俺は、運転していた伝兵衛さんに「道を間違えたのでは?」と言った。
しかし、彼は「こっちでいいんだ」と答えた。
初めからフェリーに乗るつもりなど無かったのである。
俺以外のメンバーは、知っていて、騙されたのは俺だけだったのだ。
そしてこれから、中国道の地獄を味わう事になる。


まず、兵庫県は横に長い。
二時間走っても、まだ兵庫県だ。

岡山県も横に長い。
二時間走っても、まだ岡山県だ。

広島県も横に長い。
二時間走っても、まだ広島県だ。

中国道に入ってからは、給油以外はノンストップだった。


やっと山口県に入った。
ここからは、片側一車線の山道だ。
その頃には、さすがに乗り物酔いで気持ちが悪くなってきた。
吐き気を我慢しながら、助手席で運転手と会話をする。
もうダメかと思ったときに、車は壇之浦パーキングエリアに辿り着いた。

車を降り、新鮮な空気を吸い込むと、気分が少し良くなった。
遠くには、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行った船島(巌流島)が見えた。

ここで、夕食になったが、俺は固形物を食える状態ではなかった。

  休憩を終え、関門橋を渡ると、いよいよ九州である。

関門橋を渡ると、すぐに門司で高速を降りた。
あたりは、もう暗くなって来ている。
俺は、またもや「道を間違えたのではないか?」と伝兵衛さんに言った。
彼は笑いながら、これでいいんだと答えた。
大分に向かう九州の東側には、高速道路が無いのである。


高速を降りた後は、ひたすら国道10号を南下する。
暗くなった道は、点滅信号ばかりだった。
一般道なのに、ハイウェイ状態である。
ほとんど信号で止まる事なく、大分県に入った。

夜遅く、いや朝方に大分駅に到着した。
約20時間のドライブだった。
駅前の大友宗麟の銅像を覚えている。

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それにしても、よくボロボロのキャラバンで、ここまで来れたものだ。
この車は、走っているうちは調子がいいのだが、エンジンを止めるとラジエーターから水が漏れた。
休憩時間のうちに水が漏れるので、出発の時には必ずラジエーターに水を入れなければならない。
ペットボトルの水は必需品だった。


その後何処で時間を潰したのかは忘れたが、大分駅前のグリーンホテルにチェックイン。
このホテルは、シャワーが温泉の成分で詰まって、残り少ない穴から勢いよく湯が出てシャワーが痛かった。
その後、皆で部屋飲みしたのだろう。
長旅で、皆疲れていた。
今晩は、ゆっくりと休みたいものだ。


ーつづくー