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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

初めての九州ツアー(宮崎から博多編) ~1990年11月その8~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1990年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動する事になった。

 

1990年11月21日 移動
22日 大分着
23日 打ち合わせ
24日 大分ブリックブロック
25日 宮崎
26日 博多
27日 博多
28日 移動
29日 高円寺稲生座
伝兵衛商会の初めての九州ツアーだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

前日は、宮崎のカーディーラーの特設ステージで桑名晴子さんデュオとジョイントライブ。
翌朝、皆で宿泊した、宮崎のホテル「ひまわり荘」をチェックアウトした。
ホテルの前のファミレスで伝兵衛商会メンバー4人と桑名晴子さんと天野SHOさんの6人で朝食を食べた。
モーニングセットを頼んたのを何か良く覚えている。
皆がコーヒーを飲んでいる姿も思い出せるんだ。
不思議だな。

今日は、宮崎から福岡までの移動である。

宮崎から高速道路に乗った。
すごく天気が良くて、桑名晴子さんとSHOさんが乗った乗用車と伝兵衛商会のキャラバンが抜きつ、抜かれつしながら高速を走った。

お互いの車を抜く時には、窓から片手を出し、空気を漕いでスピードを加速したかの様にして抜いていった。
この遊びを繰り返し、霧島で休憩になった。

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霧島SA

忘れられないのは、あんまり天気がいいので、霧島のパーキングエリアで楽器を出して「カントリーロード」を演奏した事。
遊んでる内に、人が集まり、ミニコンサートになってしまった。

再び走り出し、途中で次の目的地の行く方向が違うので、晴子さん達とは別れ別れに。
晴子さん達は、鹿児島に向かったのかな。


伝兵衛さんは、運転中に話をするのが好きだった。
俺は、当時運転免許が無かったので、ずっと助手席で話相手をしていた。
九州道は、宮崎から熊本にかけてトンネルが多い。
そのトンネルの長さを予想する遊びが始まった。
まず、トンネルの入口の「顔」でその長さを予想する。
トンネルが見える度に、長さ500メートルなどと予想しあうのである。

何度もトンネルを見ていると、入口の「顔」でトンネルの長さが分かって来るのだ。
短いトンネルは、「顔」が貧弱で、長くなればなるほど、その顔は立派に見えるのだ。

こんな遊びをしている内に、尋常ではない「顔」を持ったトンネルと出会った。
その名は「肥後トンネル」。

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肥後トンネル

なんと、長さは6.3キロもあり、九州で一番の長さを誇っていた。
伝兵衛さんと俺は、「さすが肥後トンネル、良い顔をしていたぜ」、などと話ながら、単調な運転の暇を潰したのだった。

熊本を過ぎて、鳥栖ジャンクションへ。
鳥栖を過ぎれば、もうすぐで福岡だ。

今日は、福岡の西新でライブをやるらしい。


高速で博多に到着した。
そして、西新へ。
西新は、博多から少し離れた、東京で言えば下北沢の様な街だ。
洒落た洋服屋や飲み屋が軒を連ねていた。
今日は、ここにある音楽スタジオでライブをやるらしい。
しかし、現場に行ってみると、どうも様子がおかしい。
ブッキングをしたおばちゃんがいないらしい。

伝兵衛さんは、スタジオに残り、他のメンバーは、近くのオシャレな喫茶店で待つ事になった。
俺とベースの吉見さんは時間を持て余し、ビールを飲み始めてしまった。

結局、この日のライブはキャンセルとなり、西新で本格的な飲み会になった。

宿泊したのは、伝兵衛さんの知り合いの人のマンションだった。


ーつづくー