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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

本牧アポロシアター出演 ~1990年11月その2~

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本牧アポロシアター

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1990年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動する事になった。

 

1990年11月12日 本牧アポロシアター 14:00入り
日本版アポロシアターだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

「P-MACHINE」で、横浜のマイカル本牧にあった、「アポロシアター」に出演した。

1989年4月、突如、何も無かった本牧に巨大ショッピングビル街「マイカル本牧」が誕生した。

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マイカル本牧

マイカル本牧の五番街の3階には、日本版アポロシアターの音楽ホールが出来た。
その内部の形は、アメリカの本物に似せてあり、ステージと1階席を囲う様に四角い2階席があった。
普段は、クラシック音楽とか、演劇の公演をしていた。
その公演の合間に、月イチで日本版のアマチュアナイトを始めたのである。


アポロシアターのアマチュアナイトと言うからには、アメリカの本家のテレビ番組のアポロシアターを忠実に真似していた。

アマチュアミュージシャンが、イクラちゃん(当時ちょっと有名だつたリーゼントのサングラス司会者)と他のプロの審査員数名と観客の判定で何週か勝ち抜くと、メジャーデビュー出来るというものだ。

芸事だったらジャンルは音楽に限らず、過激な芸で知られる友人の「電撃ネットワーク」も、この時参加していた。

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このアマチュアナイトで大事なのは、大勢の観客の応援だった。
イクラちゃん他の審査員の票と観客の票を合わせた総合得票で人気を判断されるのだ。


アボロシアターには14:00に入り、出番は19:00だった。
リハーサルが終わると、出番まで時間があるので、マイカル本牧のショッピング街をぶらぶらして過ごした。
迷子になる位に広大なショッピング街だった。


そして時間となり、本番が始まった。


観客は少なかった。
応援団は、自分「押し」のみを応援し、他のパフォーマンスは見ない。
我々の演奏の時間には観客はほとんどいない。
出番は、あっという間に終わった。
多分、イカ天で演った「ニューヨーク通り」を演奏したのだろう。

審査の結果、「電撃ネットワーク」は勝ち進んだが、我々「P-MACHINE」は敗退した。


控室に、「電撃ネットワーク」の大島君が慰めにやって来た。
まだチャンスはあるから頑張れと言う。
彼とは、同じバイト仲間だった。
過激を売りにしていた「電撃ネットワーク」は、この後売れていく。


俺は「P-MACHINE」の限界を感じ始めていた。


ーつづくー