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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

ベースの吉見さん ~1990年7月~

Fender エレキベース Made in Japan Traditional 60s Jazz Bass®, Rosewood Fingerboard, 3-Color Sunburst

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1990年、私はバイトをしつつ、バイト仲間と「P-MACHINE」と言うバンドで活動していた。

 

1990年7月11日 三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
            7月29日 新宿ロフト昼の部
            8月11日 三軒茶屋HEAVEN'S DOOR
P-MACHINEのライブが続いている。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

初めは、ベースパートをキーボードの打ち込みでやっていた「P-MACHINE」だが、鹿児島出身のベーシストの吉見さんが加入した。
なんでも、鹿児島の城山観光ホテルの箱バン出身らしい。
それまでは、俺はヘッドフォンでクリックを聞きながらドラムを叩いていたのだ。
これで「P-MACHINE」は4人編成となった。
吉見さんは、89年12月23日にTBSの人気テレビ番組イカ天に「伊太地山伝兵衛商会」で出場していて、この頃は2バンド掛け持ちだった。

吉見さんの加入により「P-MACHINE」は、90年春から本格的にライブ活動が始まり、主に三軒茶屋のHEAVEN'S DOORや新宿ロフトの昼の部に出演していた。
他にも、四谷のフォーバレーや吉祥寺の曼陀羅Ⅱなど、出られる小屋は所かまわず、片っ端から出演していた。

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観客の動員は少なかったが、夏にはバンドとしてまとまった演奏が出来てきた。
俺もヘッドフォンから解放されて、のびのびとドラムを叩けていた。
何よりも、酒飲みであったベースの吉見さんとの相性が良かった。
打ち上げでも、他のメンバーがあまり飲まない中で、二人だけは飲みまくっていた。
いつしか俺は、吉見さんの弟分の様になっていた。

鹿児島出身の吉見さんは、乾杯の生ビールの後は、芋焼酎のお湯割りと決まっていた。
真夏でもそれは変わらなかった。

 お湯割りを作る際は、先にお湯を入れて、後から焼酎を注ぐのが決まりなのである。
そうする事で、グラスの中で対流が起きて、混ぜる必要がないのだ。
これは、耳にタコが出来るほど聞いたので、今も忘れる事はない。
鹿児島人にとっては常識らしい。


8月11日の三軒茶屋HEAVEN'S DOORの出演の後も、打ち上げで相当飲んだに違いない。
翌日には、朝9時半からTBSの番組「イカ天」の収録が待っていた。


ーつづくー