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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

イカ天出演 ~1990年8月~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1990年、私はバイトをしつつ、バイト仲間と「P-MACHINE」と言うバンドで活動していた。

 

1990年8月12日 9:30 日比谷シャンテ
イカ天の収録だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

P-MACHINEはお客の集まらないバンドだった。
三軒茶屋HEAVEN'S DOOR、四谷フォーバレーなど、色んな小屋でライブをしていたが、鳴かず飛ばずだった。
そんな時、イカ天出演のチャンスが回ってきた。
イカ天とは、当時のバンドブームのさなかTBSで放送されていた、「いかすバンド天国」の略称である。
土曜日の夜中に放送されていた番組で、当時大人気だったのだ。
この番組から、数々のバンドがメジャーデビューしていた。

TBSの収録スタジオは日比谷シャンテの地下にあった。
地下駐車場に乗り付け、機材を運び込んでリハーサルが始まった。

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日比谷シャンテ

前日は、三軒茶屋のHEAVEN'S DOORでライブだった。
打ち上げで結構飲んだので、俺と吉見さんは少々二日酔いだ。
大体、午前中から演奏をする事自体に無理がある。

ドラムはスタジオに置いてある、使い回しの黒いヤマハYD9000だ。
自分の使い易い様にセッティングを行った。
俺は、3点セットにタムタムを1つ左に付けた。
ツーバスのセットの左バスドラムが無い感じだ。
ツインベダルなので、左バスドラムはいらないのである。

音出しが始まった。
まず、ドラムからだ。
バスドラを踏み込む。
ズドン。
テレビ局のスタジオは初めてだ。
ライブ小屋と違い、なんかおとなしい。
広い割にはデッドな印象だ。
タムタム、スネア、そして全部でリズムを刻む。
分離されてきれいな音に聞こえる。
悪く言えば、迫力がない。
広すぎて反響が少ないのかもしれない。

順番にベース、ギター、キーボードと音を出して、その後全体で演奏する。
2回リハーサルをした後、本番になった。

曲は「ニューヨーク通り」。
P-MACHINEの代表曲だ。
イントロはギターから始まる。
カメラが近寄って来る。
アップで撮られているのだろう。
カウントをとり、スネアの音と他の楽器が合わさる。

間奏に入った。
フロアタムでリズムを取りながら。
タムタムを回していく。
カメラに抜かれるのがわかる。
まずまずの演奏で収録は終了した。
少し守りに入った演奏だった。

このテイクでも良かったのだが、もうワンテイク撮る事にした。
今度は、もっとパワフルに思い切り叩く。
スティックを振り回し、大げさに頭を振る。
皆の演奏も良かったので、このテイクで勝負する事にした。

終わった後の番組スタッフの反応も良かった。


この日は演奏の収録だけで終わった。

その後、「イカ天」のテレビ放送の収録があったらしいが、俺と吉見さんは行かなかった。
長い時間、雛壇で座っているのがダルいからである。
全くなめ切っていた。


審査の結果は勝ち抜けだった。
イカ天キングが不在だったので、「仮イカ天キング」となった。
放送は9月15日の深夜だった。


ーつづくー