イカ天2週目 ~1990年9月その1~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1990年、私はバイトをしつつ、バイト仲間と「P-MACHINE」と言うバンドで活動していた。
1990年9月15日 14:30 日比谷シャンテ
イカ天2週目の収録だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
前回の収録で「P-MACHINE」は仮イカ天キングとなった。
放送は、奇しくも今日、2週目の収録日の9月15日である。
今回は、仮イカ天キングとしての出演となり、他のバンドの挑戦を受ける事となった。
演奏を収録した後、そのまま残り、スタジオでテレビ収録となるようだ。
前回は、テレビ収録に行かなかったので、初めてのテレビ収録である。
午後14:30に日比谷シャンテ入りする。
挑戦するバンドは、すでにに収録を終えている。
機材を運び込んでリハーサルが始まる。
ここまでは、前回と同じだ。
カメリハの後、本番の収録となった。
今日は「ビッグママストーリー」という曲を演奏する。
キーボードのKは、楽器を弾かずにハンドマイクで歌う曲だった。
俺は、曲中が音が薄くなるので、この曲じゃ勝てないと思っていたが言えなかった。
曲が始まると、イントロは決まったが、やはり歌に入ると急にテンンションが落ちる
Kも頑張ってはいるが、如何せん歌が・・・。
完全に選曲を誤った。
こうして、演奏の収録は終わってしまった。
休憩の後すぐに、スタジオでテレビ放送の収録が始まった。
我々は、セットの後ろで待機し、オープニング後に紹介されて扉から出てくる段取りだ。
セットの裏には、この日のゲスト審査員の西城秀樹さんもいた。
西城秀樹さんは、俺達に声をかけ握手してくれた。
他の審査員は、田中一郎、斉藤ノブ、ナルチョ、パンタ、森雪之丞、スージー・キムさんだった。
ドラマーの審査員がいなかったので、少しホッとした。
番組のオープニングが終わり、扉から表に出る。
先週の演奏の映像の後、インタビューがあり、仮イカ天キングの仮設ベンチに座り他のバンドの出番を見続けた。
途中トイレ休憩を挟んで、2時間ほどでチャレンジャーはパニックインザズーに決まった。
俺達とパニックインザズーと並んで、俺達の演奏のVTRを見た後、審査員の判定へ。
結果は1対6で負けた。
入ったのは、スージー・キムさんの一票だけだ。
しかし、自分は自分のドラムを叩ききったので、負けたとは思わなかった。
この日は、奇しくも仮イカ天キング対決となったが、番組側の意向も働いていたのではないかとも思えた。
放送は、9月22日の深夜である。
残念だったが、放送の影響で、その後のライブには少しお客さんが入るようになった。
もう少しP-MACHINEで頑張ってみるか。
ーつづくー