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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

バンドP-MACHINE結成 ~1989年8月~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1989年4月、私はバイトを始めた。
この頃はMGと言うバンドを辞め、バイト仲間と「P-MACHINE」と言うバンドを始めた。

 

1989年8月18日 川越街道ミスタードーナツ
                           成増 13:00~16:30
P-MACHINE初練習だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

バイトを始めて数か月。
だんだんと友達が出来てきた。
バイトは前日に電話で仕事を決めるシステムだ。
曜日と時間が自由なこの展示会設営のバイトには、役者とかミュージシャンが多勢いた。
そうした或る日、新しくバンドをやらないかとバイト仲間から誘いを受けた。
後に、このバンドはP-MACHINEとなる。

89年8月18日、成増で初練習があった。
成増駅前のミスタードーナツでメンバーと昼過ぎに待ち合わせた。
ドラムの俺とギターS、キーボードK、ベースの吉見さんの4人が初めて揃った。
リーダーはキーボードKだ。
メンバーの内、ベースの吉見さんだけは違う仕事をしていた。
吉見さんは、キーボードのKと同郷の鹿児島人であった。
この縁で昔からの知り合いだったのだろう。
後に知った事だが、吉見さんは伊太地山伝兵衛商会と、かけもちしていた。
俺は、吉見さんを通じて伝兵衛商会に誘われる事になる。
※2021/3/1訂正
この時は、ベースの吉見さんは、まだ加入しておらず、ベースも打ち込みで、バンドのスタートは3人でした。訂正します。

ミスタードーナツでは、スタジオ開始までの時間コーヒーを飲みながら話をした後、初練習に向った。


練習の場所は成増の公民館の音楽室だ。
驚くほど安い。
普通の貸し音楽スタジオの料金の五分の一ほどだった。
その割には広い。
30帖はあったのではないだろうか。

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一回の練習で三時間から四時間はやったと思う。
長い時は、八時間と手帳には記録されている。
週2回くらいのペースで成増での練習は続いた。


P-MACHINEの楽曲は、ダンスPOP系で、元ISと言うバンドでメジャーデビュー経験のあるキーボードのKが作曲し、全部のパートをデジタルで打ち込んでくる。
彼は、自分で持ち込んだ楽曲をライブで再現したいのだ。
キーボードを自動化する事で、自分がマイクを持って歌いたい様だ。
そうなると、自動演奏のキーボードにドラムを合わせなければならない。
再び、俺とドンカマとの闘いが始まった。

しかし、当時は丁度いいドラマー用のヘッドフォンアンプが無かった。
PAからモニターを返すのは簡単だが、ドラムセットの脇で、自分でボリュームを調整したい。
そこで、俺は小型のギターアンプの上半部のアンプ部分だけをのこぎりで切って、オリジナルヘッドフォンアンプを作った。
これにヘッドフォンをつないで、キーボードのクリックを聞きながら叩く事にした。

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後から考えると、このバンドによってクリックに慣れて、リズムキープを鍛えられた。
しかし、大きいクリック音を聞き続けて耳も悪くなったけどね。

ある日、ヘッドフォンは持ち運ぶのにかさばるのでイヤホンでクリックを聞いていたら、耳が熱くなった。
音が大きすぎてイヤホンが溶けかかっている。
その位大音響で聞いていたのだ。

しかし、やった事の無い事だらけで、新しいバンドは面白い事になりそうだ。


ーつづくー