Web
Analytics

酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

福生クラブ49 ~1989年9月~

写真集 CRP TOKYO 福生 横田基地 2020年12月 BY 13photographers 撮影会+写真集 Dec.2020

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1989年4月、私はバイトを始めた。
この頃はMGと言うバンドを辞め、ロフトの店員バンド「PEACE MAKER」で活動していた。

 

1989年9月17日 福生クラブ49
福生の小さなライブハウスに出た。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

福生のライブハウス、クラブ49にPEACE MAKERで出演した。

国道16号を米軍基地の脇を通り抜け、福生の街中に入る。
この店は、福生の寂れた商店街の外れの2階にあった。
木目調のアメリカンなカウンター席の奥に小さなステージがある店だった。
リハーサルが終わると福生の街を散策した。
人があまりいない街で、革ジャン屋やジーンズ屋で時間を潰した。

おいおい。
今日は日曜日だぜ。
本番もこのぶんでは、あまり期待出来ないと思っていた。
その後、ハンバーガーでも食ったのだろうか。
全然覚えていない。


出番の時間になった。
小屋に帰り、2階への階段を登る。
しかし、小屋に入ってびっくりした。
米軍のアメリカ人が結構飲んでいるではないか。
俄然やる気が出てきた。

この日は、外人の客用に、ヘルタースケルターなどのカバー曲も何曲か用意していた。
演奏が始まると、踊ったり、一緒に歌いだす奴もいる。
結構受けた記憶があるが、一番覚えているのは、客の外人がホモばかりだった事だ。

ステージが終わると、ベースのダンナは、外人に尻を触られ大人気だった。
ちょっと小太りが好みだったのか、他のメンバーには見向きもしなかった。
俺達は、ほうほうの体で小屋から逃げ出した。

珍しく、小屋で飲んだ記憶がない。


これに懲りたのか、二度とクラブ49に出なかったな。


ーつづくー