渋谷ラママ ~1989年2月~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1989年、私は就職して3年で退社、仕事もせずに新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。
1988年12月29日 渋谷ラママ
1989年 2月13日 渋谷ラママ
2月20日 渋谷ラママ
ラママでの活動を再開した。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
前年の暮れから、再びラママでのライブをやり始めた。
再びライブが増えてくると、バンドが息を吹き返してくる様な気になる。
今年はもう一度頑張ってやろうと思っていた。
ブログを書いて気付いた事は、MGと言うバンドは新宿ロフトよりも、渋谷ラママでの出演の回数の方が断然多かったのだ。
ロフトはロフトアーカイブで調べると、対バンがわかるので記事が書きやすかったのだが、ラママは手帳に対バンが書いていないと記憶が蘇らないので、半分くらいは記事を書けなかったのだ。
ラママは昔ショーボートと言う名前だったと思う。
俺のなかでは渋谷のライブハウスは、やはり屋根裏が一番であり、ラママはその次と言う感じだった。
渋谷のライブハウスは、ロックは屋根裏、エッグマン、クロコダイル、はメジャーのプロが演奏する場所で、アマチュアはラママといった序列だ。
しかし、屋根裏が無くなってからは、渋谷のインディーズロックシーンを支えてきたのは間違いなくラママである。
その後、お笑いにも力を入れ、ユニークなエンターテイメントの発表の場所としての地位を築いて来た。
立地は決していい場所では無かったが、ラママへの坂を上って行くと、これから本番だと気合いが入ったものだった。
観客の動員が少なかったバンドでも、長い目で見て育ててくれる小屋でもあった。
ジュンスカなどはその典型的な例だろう。
いつも打ち上げで飲む度に、お互いお客さんが入らないとグチったものだ。
俺達MGも少ない動員をカバーする為に、対バンを付けて出演させてくれていたのだろうな。
年越しライブの出演も楽しかったし、いい思い出ばかりだ。
俺にとっては、1989年2月20日のライブが渋谷ラママでの最期のステージとなった。
あれから30余年。
今は、このコロナ禍を乗り切って、渋谷のインディーズバンドの発掘者として頑張って来た小屋が、続いていって欲しいと願うばかりである。
ーつづくー