マルコシアスバンプ ~1988年6月その1~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1988年、私は就職して3年で退社、仕事もせずに新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。
1988年 6月15日 渋谷ラママ withマルコシアスバンプ
チラシのライブニ本目。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
チラシに書いてあるラママでのライブだ。
対バンはスピードキングとマルコシアスバンプである。
マルコシアスバンプのメンバーは
秋間経夫:ボーカル、ギター
鈴木ユタカ:ギター
佐藤研二:ベース
石田光宏:ドラムス
の4人。
後にイカ天で有名になったが、この頃から実力派のグラムロックバンドとして名をはせていた。
ベースの佐藤氏はすでに軍服に軍帽をかぶり、こまわり君と呼ばれていた。
ドラムの石田氏は無口でほとんど喋らない。
しかし、ドラムを叩き始めるとパワフルで、アフロの髪も相まって、グランドファンクレイルロードのドン・ブリューワーを彷彿とさせた。
1987年エレファントムーンから自主制作盤「プレジャーセンセイションズ」をリリース。
1988年4月25日には、我々と同じバルコニーレコードから「ディステニーコーリング」をリリースしている。
そして、一年後の1989年(平成元年)12月9日、「三宅裕司のいかすバンド天国」に出場。
この日はすでに4週を勝ち抜いていた「たま」の3代目グランドイカ天キングがかかった回であった。
「たま」には負けたものの、仮イカ天キングとなり、その後勝ち続け、4代目グランドイカ天キングとなるのである。
この日のラママでのライブも演奏の迫力は変わらないものの、観客の動員は寂しかった。
ライブ後にメンバー達と少し話をしたが、打ち上げには来なかったと思う。
実力は有ったので、イカ天がなくても、ゆくゆくはメジャーになっていただろう。
ドラムの石田氏とは、池袋でばったり会った事があった。
立ち話をしたのだが、彼はこれから個人でスタジオ練習だ、と言っていた。
池袋のヤマハスタジオをタダで使わせてもらっている。
と、本人から聞いたと思う。
俺達MGも、バルコニーレコードのつてで、渋谷のスタジオペンタをタダで使わせてもらえた時があった。
渋谷の桜ヶ丘のラーメン屋一風堂の先の線路沿いだった記憶がある。
当時、最新式だったラック式のタムスタンドのパールのドラムセットだった事をよく覚えている。
しかし、2回位しか利用しなかった。
何が気に入らなかったのか、練習後には他のメンバーの評判が良くなかった。
場所が渋谷だったからなのか。
部屋が狭かったからなのか。
時間が決められていたのか。
使わなかった理由はわからない。
俺は、タダなのにもったいないな、と思っていたけど。
ーつづくー