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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

再びバーボンハウスへ ~1988年8月~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1988年、私は就職して3年で退社、仕事もせずに新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1988年8月15日 機材積み
         8月16日 12:00出発
         8月18日 バーボンハウス
         8月19日 渋谷ラママ
2度目のバーボンハウス。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

8月15日の夜に機材を車に積み込み、翌日16日に大阪へ向かった。
ライブが続いていた時は、機材車にドラムを積みっぱなしにしていた。
ツアーのためにドラムを積み込んでいる事から、ここ最近ライブが無かった事ががわかる。

初めてのバーボンハウスの時は鮮明に覚えているのに、今回の2度目のバーボンハウスは記憶が全く無い。
手帳を見なければ出た事を忘れていた程である。
16日・17日はどこに泊まったのかも分からない。

覚えているのは、バーボンハウスのリハーサル後は、皆とは別に1人で行動をしていた事である。

ツアーは最初のうちは面白かった。
毎日毎日、演奏しては打ち上げで飲む日々は、俺にとってパラダイスだった。
通天閣へ行き、新世界で串カツを食った。
仲良く写真を撮ったりもした。

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しかし大阪に行っても、もう面白くはなかった。
だから、何も覚えていないのかもしれない。
大体、団体行動にも嫌気がさしていた。


前にも書いたかもしれないが、関西のライブハウスはリハーサルが始まる時間が早い。
昼過ぎにリハーサルをやるので、本番までに4、5時間はある。
時間潰しの術を持っていないと、やっていられない。
多くのバンドマンはパチンコを打ちに行ったりしていた。
パチンコをしない俺は、やる事が無いのだ。

リハーサルが終わると、他のメンバーに「親父」お前は行きたい所が有るのだろう、と言われる。
(俺は、メンバー最年長だったので、その頃「親父」と呼ばれていた。)
俺は、ああ、一人で行きたい所があるんだ、と答えた。
リハの後は、バーボンハウスを離れ、本番までの時間を潰す。
行くあてもなく、只々、知らない梅田の地下街を1人で歩いた。
別に見たいものも、買いたいものも無いから、余計時間が経たない。
楽器屋を覗いたら、もう行く所はなくなった。
最後は、地下の噴水の脇に座り、行き交う人を見ていた。

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しかし、俺にとっては一人の方が他人に気を使わなくて良かった。
ぼーっとして、時間が経つのを待つのだ。
ここで人間ウォッチングをしていると、大分気が紛れた。
この人は、どんな人を待っているだろうか、などと想像する。
待ち合わせにやって来た人が来て、そのクイズの答えが分かるのだ。
何時間もここにいるのは俺だけだから、全ての答えが分かった。
タバコを一服したら、そろそろ小屋へ戻ろう。


出番の時間近くになり、バーボンハウスに戻った。
出入口が一つしか無いので、お客さんの入口から楽屋に行ったと思う。
衣装に着替えて、ライブの本番をこなした。
この時には、2年後には、バーボンハウスが観客の死亡事故により閉店してしまうとは思ってもみなかった。

ライブ後は、翌日に渋谷ラママの出演があるので、軽く飲んで、その日にうちに東京に戻ったに違いない。
朝方には家に帰り着いたと思う。

翌日の8月19日は、午後渋谷に電車で向かう。
ラママへの坂道を歩いて登る。
ドラムは機材車で来るので手ブラだ。
今日はどんな日になるのだろうか。


ーつづくー