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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

初めての関西ライブ ~1987年11月その3~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1987年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1987年 11月16日 16:30発 ひかり351号
             11月17日 神戸チキンジョージ
カーリックボーイズ/マッドギャング/MG
     11月18日 大阪エッグプラント
初めてのツアーが始まった。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

11月17日の朝、案の定寝坊した。
前日に飲みすぎたのだ。
せっかく大阪に前乗りしたのに9時に起床予定が、起きたのは11時だった。
急ぎホテル関西を出発し神戸へ向かう。
ライブ後には、再びホテル関西に戻る算段だ。
今日はチキンジョージに出演だ。
関西では、バーボンハウスと並んで有名な小屋である。
情報雑誌「ぴあ」にも、バーボンハウスとチキンジョージのライブ予定は載っていた。
この頃のチキンジョージはキャバレーの2Fにあって、まるで渋谷の屋根裏の様だった。

チキンジョージに着いて、階段を昇り機材をセッティングする。
関西の小屋は入りの時間が早い。東京なら15時から16時だが、関西は午後一だ。
対バンは大阪のガーリックボーイズと神戸のマッドギャングだ。
この2バンドは関西では人気のあるパンクバンドであった。

MAD GANG

MAD GANG

  • アーティスト:MAD GANG
  • 発売日: 1990/02/21
  • メディア: CD
 

 リハーサルが終わり控室に戻った。
ここの控室はステージから離れている。
キャバレーの裏導線に位置し、ケバイお姉さんたちとすれ違う。
これも渋谷の屋根裏と似ていた。

チキンジョージはまかない飯に大皿のチキンライスを出してくれることで有名だ。
うわさ通りの大盛が運ばれてきた。
取り分ければ、1人1皿行きわたる量だった。
具はほとんど無いがうまい。
貧乏バンドマンには有難い。
この日、これ以外に食事をした覚えが無い。

出番は、俺達が一番最初だったと思う。
思いのほか、早い時間には客は入っていなかった。
それでも初めての小屋で精一杯演奏した。
時間が経つにつれ、小屋には客が増えてきた。

神戸で打ち上げをした覚えがないので、チキンジョージで乾杯して、直ぐにホテル関西に戻ったのだろう。
皆で撮った写真が残っている。
マッドギャングの碇くんは亡くなったが、テッチャンはビートギャングと言うバンドで活動中。

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このチキンジョージは震災で倒壊し、今はコンクリートで立派なビルへと生まれ変わったらしい。
俺は震災の後、一度も神戸に行っていない。

反省会と称して、ホテル関西に戻って部屋で乾杯。一日目が終わった。

 

翌11月18日、ホテル関西をチェックアウト。
梅田から天王寺方面へ向かう。

 昼食は通天閣の真下にある、大阪王将で餃子を食べた。
この店は閉店して、今はもう無いらしい。
ボーカルのWは、ここの大阪王将が大好きらしく、大阪に行く度に何度も通った。
ラー油の底に溜まっている唐辛子、所謂「鉄入りラー油」がたまらないらしい。

 しきりと京都王将との比較をして、大阪王将を褒め称える。
この頃は東京には京都王将だけで、大阪王将は進出してなかったのである。
その後は、新世界に行って時間を潰した。


午後エッグプラントに向かう。
エッグプラントは花園の大きな街道にぽつんと建っていた。
機材車を運転をしていたベースのKが小屋を通り過ぎた。
Uターンに苦労していたから、中央分離帯があったほど道が広かったのかもしれない。
レストランの様な大きなガラス窓の上に「EGG PLANT」と書いてある看板があった記憶がある。
エッグプラントは、1984年から1989年まで大阪市西成区で営業していた伝説的なライブハウスである。
わずか5年しか営業していない。
関西ライブシーンを牽引するパンクバンドの発信地であった。
練習スタジオも併設されており、大阪出身のメンバー2人は使った事があるらしい。


機材を運び終え、リハーサルが始まる。
この小屋は珍しく1Fにあったので、搬入も楽々だ。
対バンはあったのだろうが、手帳にも記憶にも無い。

ライブ後は、そのまま東京に機材車で走って戻った。


俺はツアーの楽しさを知ってしまった。


ーつづくー