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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

秋のツアー(難波ロケッツ) ~1991年10月その3~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
10月23日 横浜BUDDY
10月24日 茅ヶ崎R'Sステージ
10月25日 難波ロケッツ
10月26日 大阪ニコチャン堂
10月27日 京都アザーサイド
10月28日 京都ろくでなし
10月30日 大阪ミノヤホール
11月1日  和歌山オールドタイム
秋の関西ツアーだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

秋のツアーからは、ブルースハープの尾崎さんが、ツアーメンバーとして加わった。
尾崎さんは大阪の人で、千里ニュータウンの団地に一人で住んでいた。
少し太った、茶髪の気の良い大阪のおじさんで、赤いチェックのシャツがトレードマークだ。
今回から、伝兵衛商会は、彼の家に寝泊まりして関西ツアーの拠点にすることになった。

これには伏線があった。

前回の神戸のライブの後、俺とベースの吉見さんは、三ノ宮での打ち上げの後に朝まで二人でさらに飲みに行った。
いつの間にかメンバーはバラバラになり、俺と吉見さんは泊まる所が無かったのだ。
飲んでいた飲み屋が閉店となり酔っぱらって店を出たが、あまりの眠さに、俺は機材車で寝る事を思いついた。
車は生田神社近くの機械式パーキングの3階に置いてある。
鉄の網で出来た外から車が見えるタイプであった。
下から見えるものの、たどり着くには非常用のハシゴを登るしかなかった。

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俺は、酔っていたものの、なんとかハシゴを登り切り、機材車の後部座席に滑り込んだ。
落ち着いたのも束の間、遅れて吉見さんも機械式駐車場の下までなんとか辿り着いていた。
俺よりもかなり酔っぱらっている。
ハシゴにつかまり上に登ろうとチャレンジしている。
しかし、酔っぱらった体は持ち上がらずにぶら下がるのが精一杯だった。
登れないと分かると「おーい、おーい」と大声で騒ぎ始めた。

これがまずかった。

通報されてしまい、数人の警官がやってきた。

俺と吉見さんは生田神社の脇にある生田前交番に連行されてしまった。

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ここで取り調べを受けて、さんざん説教をくらった。
厳重注意で解放された時には、外は少し明るくなっていた。

こんな事件があったものだから、伝兵衛さんは関西での寝床を探していたのではないかと勝手に俺は思っている。


さて、話は戻るが。
尾崎さんとは、難波ロケッツで合流した。

難波ロケッツは、南海電車の高架下の商店街「なんばピア」にあったライブハウスだ。
惜しまれつつも、2016年2月に閉店してしまった。

ちなみに、この時は近くに大阪球場が残っており、グラウンドは住宅展示場になっていた。


出番までは、高架下の商店街をブラブラする。
行くあても無いので、すぐに飽きてしまった。
かと言って、出番前に酒を飲む訳にもいかず。
結局喫茶店で時間を潰した。

尾崎さんが加わった伝兵衛商会は、リハーサルで何曲か音合わせをしただけで本番に臨んだ。
しかし、本番では尾崎さんも隙あらばブルースハープをぶっこんでくる。
演っている方もどうなるか分からないスリリングな演奏になった。

尾崎さんは、この後も大阪近郊のライブにはレギュラー出演する事になる。


ーつづくー