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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

三度目のツアー(新世界) ~1988年2月その3~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1988年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1988年 2月10日 横浜7thAv.
          2月11日 富士ユニセックス
       2月12日 大阪バーボンハウス
          2月14日 神戸チキンジョージ
             2月15日 名古屋ELL
三度目のツアーが始まった。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

2月13日、ホテル関西をチェックアウトする。
バーボンハウス出演の翌日、ツアーで初めてのオフである。

ノープランの俺達は、大阪出身のメンバーの案内で通天閣へ向かった。
そこは、天王寺寺田町出身の彼らのホームグラウンドである。
前回来た時は、時間が無く、大阪王将で餃子を食べただけであったが、今回は新世界を案内すると言う。

まずは、通天閣へ。
なにわのエッフェル塔と言われる展望塔は、昭和31年に再建された2代目で、高さは103m。
何度か来ているが、未だ登った事はない。
5階には大阪を一望できる展望台や、足の裏をなでると幸運が訪れるという神・ビリケン像などがあるらしい。

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通天閣の下にある、将棋の「王将の碑」の前で記念撮影をする。
坂田三吉という天才棋士の死後、その偉業を称えて新世界町会連合会によって建立されたものらしい。
村田英雄の歌謡曲「王将」も坂田三吉がモデルの歌である。
このあたりでは、坂田三吉を気取った親父達が賭け将棋をする将棋サロンがあちこちにある。
屋外でも将棋を打ち、その周りを野次馬が取り囲んでいる。

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通天閣商店街のゲームセンターで記念撮影。
土曜日の昼間なのに人通りは少ない。
シャッターが閉まっている店も多く、少し寂れた印象である。

通天閣の商店街を戻り、新世界方面へ歩いた。
新世界には洋品店が多い。
売っている服は大阪のオバチャンが着るアニマル柄のセーターやオッチャンが着る純白のジャンパーなど。
東京ではお目にかかれない物ばかりである。

 そして、ここのグルメと言えば串カツである。
俺達はジャンジャン横丁の串カツ屋に入った。
大阪人のメンバーは串カツの食べ方を伝授してくれた。

四角い缶に入ったウスターソースは二度漬け禁止。
一度漬けたらもう漬けられないルールだ。
足りない場合は、付け合わせのキャベツでソースをすくう。
等々。
東京には、まだ串カツ屋が進出していない頃だった。
俺は四角い缶に入ったウスターソースに串カツの油が浮くのに違和感を感じたが、これがルールらしい。
一通り食べた最後のシメは紅ショウガが旨い。
明るいうちから飲むビールが効くが、ここでは公然と許される。

その後は、心斎橋に行って、アメリカ村をぶらぶら。
三角公園でたこ焼きを食べた。
大阪人は、ここでも東京のたこ焼きとの違いを熱弁。
鰹節の量と、中に入っているタコの大きさを自慢する。

最後はお好み焼きを食べて、広島風との違いを語った。
麺が入る事の邪道さ(麺が入ると「モダン焼き」であって、お好み焼きではないらしい)。
山芋が入った生地はふっくらしている事。
最後にかけるマヨネーズが美しいなど。

大阪人は大阪の食い物が大好きな事は良くわかった。


十三の焼き肉屋で追い飲みをして、ホテルへ。

この日の泊りは、ホテル関西が取れずに江坂のビジネスホテルであった。


ーつづくー