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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

筑波のライブハウス ~1988年1月~

Coors Light Beer Dart Club Bar LED看板 ネオンサイン バーライト 電飾 ビールバー 広告用標識 ブルー+レッド W30cm x H20cm

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1988年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1988年 1月20日 渋谷ラママ
             1月30日 筑波29bar with GDF
1度だけ筑波のライブハウスに出た事がある。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

年が明けて、1本目は渋谷ラママでライブをやり、2本目のライブは筑波29barだった。
今では筑波エキスプレスで直行だが、この頃の筑波はずいぶん遠い茨城県のイメージしかなかった。
そんな田舎?のライブハウスに出演する事になった。

新宿に集合して、機材車に乗り込む。
高速に乗ったのだが、筑波の出口(谷和原か桜土浦かは定かでないが)までが遠かった。
渋滞していたのだろうか、やたら時間がかかる。
高速を降りて田舎道を走って行くと、突然道幅が広くなった。
片道3車線の大通りである。
暫く行くと筑波のバスターミナルに着いた。
冬で陽か落ちるのが早かったのか、薄暗い記憶がある。

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ダイエーだけが光を放ち明るかった。
この周りだけは、街になっていたのだ。
29barはその一角のビルの3階にあって、機材車ごと搬入口に昇れるようになっていた。

機材と共に搬入口から店内に入る。
店内はアメリカンな作りだ。
壁にはビールやダーツのネオンサインが光っている。
床はLOFTのように白黒の市松模様だった。
ステージは低くて、客席よりも1段だけ高くなっていたと思う。
俺が知っている薄汚いライブハウスというよりも、パーティも出来るオシャレなバーという感じだ。

この日は友人のバンドGDフリッカーズと一緒のライブだった。
しかし、お客さんはあまり入っていなかった。
だいたい、街に人がいない。
この事は、リハーサルが終わって、ダイエーの辺りをうろついている時に感じていた。
数十人の前で演奏を始めた。
まるで、関係者を集めたゲネプロの様なステージとなった。
両バンドの出番が終わると、パーティーの余興みたいな感じでセッションになった。

ライブ後はこの店で打ち上げ。
立ち飲みで形式でビールを飲んでいた。
GDFの連中と盛り上がっていると、白竜さんがやってきた。
だいたいこの店は白竜さんがやっているのだ。

白竜

白竜

  • メディア: Prime Video
 

彼は近づいて来ると。
「いよっ、今日はどうだった。」と聞く。
相変わらず「いかつい」。
Vシネマの極道役が似合いすぎている。
会うのは2年前のニューイヤーロックフェス以来だ。
いや、ARBの打ち上げで会ったかもしれない。

 俺は「まずまずでした。」と答えると。
何言ってんだ、俺が出してやるからには精一杯やれよ。
と小突かれた。
怖い顔をしているが、九州は佐賀生まれのいい男なのである。
乾杯をして、小一時間飲んだ。

打ち上げ終了後、機材車で新宿に帰った。
GDFの機材車と途中までは並んで走っていたが、高速で見失った。
帰りの方が時間が早く感じた。
時間が遅くなったので、家の近くで車を降りた。

この時以降、白竜さんと会っていない。

でも俺を覚えていてくれて嬉しかったなあ。


ーつづくー