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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

年越しパーティー ~1987年12月その6~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

 

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1987年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

1987年 12月29日 渋谷ラママ
     12月31日 新宿ロフト GDF/THE BELL'S/MG/赤と黒/LOUD MACHINE                 12月31日 渋谷ラママ 21:40
年末のライブに続けて出演。
大晦日はロフトとラママを掛け持ちしている。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

1987年の暮れは大忙しだった。
12月の半ばまでは1週間の関西ツアー。
29日にはラママに出演している。

大晦日のライブは2本続いていた。

まずは、新宿ロフトに出演した。
多分19:00頃だったように思う。
裏口から楽屋に降りると、熱気でムッとした。
それだけ、外と中の温度が違うのだ。
地下の店は熱気で水蒸気が立ってガラスや鏡が曇っていた。
ロフトはお客で満員だった。
外にも人が溢れていた。
チケットを見せれば何度でも出入り出来たので、目当てのバンドを見ると休憩に外に出てくるのである。
中は熱いので、外に涼みに来る客は大晦日なのに半袖の者もいた。
45分ほどの出番を終えると、すぐに渋谷へ移動した。
ちょっとした売れっ子の気分だ。

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渋谷に着くと、ラママも外は客でいっぱいだった。
予定では21:40からだったが、少し時間が押して、出番は22:00頃だったろうか。
ラママも地下の店なので、熱気が籠っていた。
演奏が終わり、外に出ると冷気で体の火照りがとれる。
店の前で見に来ていたお客さん達と乾杯だ。
今年の演奏は終わりなので、ここからは思う存分飲めるのだ。
しかし、ゆっくりはしていられない。
そこそこに切り上げてロフトに舞い戻った。
ロフトの楽屋口でビールを飲みながら、「その時」を待つ。

グラマラス&デンジャラス

グラマラス&デンジャラス

 

 カウントダウンはGDFの出番の時だった。
俺たちもステージに上り新年のカウントダウンに加わった。
10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・
ハッピーニューイヤー!
GDFのJOEの掛け声と共にクラッカーが鳴り響き、紙テープが舞う。
ステージ上で年を越せて最高の気分だった。
そして、新年最初の曲「ジョニービーグッド」が始まった。

ロフトのニューイヤーパーティーは出演予定のバンドが終わると、朝方までセッション大会になる。
曲は大抵、ジョニービーグッドかサマータイムブルースだ。
知っている曲が一通り終わると、また最初にやったジョニービーグッドに戻るのだ。
酔っ払っているので、ステージに上がって皆でマイク無しで歌いまくる。
ドラマーがいなければ、出来る人が交代で叩く事になる。
大抵は酔っぱらったBOOWYの高橋マコッチャンであるが、俺も1曲叩かせてもらった。

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 この年はブルーハーツが来ていたので、梶原 徹也氏もドラムを叩いていたと思う。
そのドラミングを楽屋から拳を振り上げて煽る。
梶原 徹也氏もそれに答えて、楽屋を煽り返しながら叩き続ける。
パーティーは朝まで終わらなかった。

明るくなって、店の前で写真を撮ってお開きになる。
今みたいに携帯があれば沢山写真が残っていただろうが、あいにくカメラは持ち歩かなかった。
集合写真は一枚も残っていない。
誰かが写真を撮っていたが、後日もらう事はなかった。

新年の挨拶が終わると1人2人とロフトを去って行く。
三が日はロフトも正月休みである。
俺は明るくなった元旦の小滝橋通りを、紙コップのビールを飲みながら家に向かった。

俺が一番調子に乗っていた頃の話である。


ーつづくー