ミーティング ~1989年3月~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1989年、私は就職して3年で退社、仕事もせずに新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。
1989年 3月4日 ミーティング
新宿某所。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
MGのバンド活動は続けていた。
月に1回位は定期的にライブもやっていた。
新年に入り、ラママでのライブも増やしていた。
俺は、失業保険も終了し、金が無くなっていた頃だ。
そんな89年3月4日に、バンドのミーティングが行われた。
多分、新宿の喫茶店だったと思う。
いつもと違う集合場所に、話の内容は大体わかっていた。
メンバー4人が集まった。
皆黙っている。
暫く沈黙が続いた。
そしてついに、「MG」のリーダーWが重い口を開いた。
バンドの方向性を変えたいという話だった。
ロック系からパンク系にイメージチェンジするという。
話は簡単だった。
早い話クビだ。
「屈託がない」ドラマーをクビにして、「屈託のある」ドラマーにメンバーチェンジするらしい。
1時間もしないうちにミーティングは終わった。
これでバンド「MG」での活動は終了した。
終わりはあっけないものだった。
予想通りだったので、あまりショックではなかった。
お前は「屈託がない」、「屈託がない」と繰り返し言うメンバーには辟易したが、バンドが売れるか売れないかは、ドラマーのマーの屈託ではなく、楽曲だと思っていたので、腹はたたなかった。
このバンドでを始めて約3年。
メジャーデビューは果たせなかったが、マイナーデビューは果たす事は出来た。
色々な小屋でライブをする事も出来た。
良い事もあったじゃないかと思いつつ、俺は缶ビール片手に家路についた。
それでは、グッバーイ「MG」。
ーつづくー