今井智 ~1988年12月その1~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1988年、私は就職して3年で退社、仕事もせずに新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。
1988年12月24日 新宿ロフト
<サンダル親父のクリスマス> レジスタンス/MG
クリスマスライブだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
レジスタンスとの対バンで、クリスマスイブに新宿ロフトに出演した。
レジスタンスのボーカルのカツミちゃんは、いつも便所サンダルを履いていたので、サンダル親父と名乗っていた。
それで、このライブタイトルになったのだ。
MGとしても、久々のロフト出演となった。
夏から秋にかけてライブの少なかったMGだが、冬になってブッキングが増えてきた。
再び、バンドにやる気が出てきたと思っていた。
この時のレジスタンスのドラマーは今井智さんだったと思う。
以下は呼び慣れた、今井ちゃんと呼ぶ事にする。
今井ちゃんは、元ダンガンブラザーズバンドのドラマーで、俺のアイドルのドラマーだった。
今井智。
秋田県出身のドラマー。
1978年、スロッグでデビュー。
余談だが、俺はスロッグのデビューアルバムを、後に伊太地山伝兵衛さんの実家に行った時に、伝兵衛さんからもらった。
今井ちゃんは、その後、ピンナップス、ダンガンブラザーズバンドを経て、この頃は大沢誉志幸のバックバンドをやっていた。
夜な夜な新宿ロフトのパブタイムに現れる常連だった。
口数が少なく、黙々とウイスキーを一人で飲んでいた。
俺の親しくなった唯一のハードロックドラマーだった。
あ、もう一人、アンセムの大内マッドがいたか。
ストレートの長髪で細身なのにパワフルなツーバスドラマーだった。
キースやコバンもそうだが、パール楽器のカタログに載っている人と対面で飲む日が来るとは思っても見なかった。
今井ちゃんには、色々ドラムの事を聞いたのだが、いつもつれない答えだ。
好きなようにやればいいんだよ。
決まって、こう言うのである。
テレビを見て、大沢誉志幸が出ているとボーカルではなく、一瞬移るドラマーを探してしまう。
それが今井ちゃんだとすぐにわかった。
それだけで嬉しくなってしまうのだ。
完全に推しメンだった。
そんな今井ちゃんが、レジスタンスをドラムを叩くのには複雑な思いがあった。
俺も一度レジスタンスのドラムを叩いた事があったからだ。
どうしても、自分と比べてしまうのである。
今井ちゃんは、ドラムセットを持ってこなかったと思うから、俺のドラムセットを使ったのだろう。
そして、自分の力の無さを思い知らされる日となった。
同じセットとは思えない音がしていた。
打ち上げでは、皆で飲んで、クリスマスパーティーをしたと思う。
この日が、俺のMGでの新宿ロフト最期のステージとなった。
ーつづくー