Web
Analytics

酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

RCサクセション武道館 ~1988年12月その2~

f:id:sakenomi_oyaji:20210207205235j:plain

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1988年、私は就職して3年で退社、仕事もせずに新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1988年12月25日 RC武道館17:30
RCサクセションの伝説のクリスマスライブ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

RCサクセションを武道館に見に行っている。
チケットを買って、日本のバンドを見た事が無かったので、貰い物のチケットだったのか。
それとも、クリスマスなので、誰かいい娘を誘って見に行ったのだろうか。
待ち合わせ時間まで書いてあるので、見に行ったのは間違いない。
しかし、この日の事は、全然記憶に無いのである。
多分、前日に新宿ロフトでライブをやっているので、打ち上げで飲み過ぎて二日酔いだったのだろう。

この日は梅津和時のサポート参加ラストのライブだった。
87年4月のMGのレコーディングの時には、隣のスタジオでは、ソロの忌野清志郎バンドのリハーサルをしていた。

sakenomioyaji.com

この時のバックバンドがドクトル梅津バンドだったので、ソロデビュー以来約2年間、梅津さんは清志郎にかかわって来たはずだ。
しかし、このライブを最後に袂を分かつ事になる。

清志郎のソロ活動のため、87年はRCサクセションは活動を休止していた。
その反動か、88年になるとRCとして活発に活動を再開する。
この時期のテーマは反戦・反核だった。
カバーアルバム「カバーズ」とシングル「ラヴ・ミー・テンダー」を制作するも、東芝EMIともめて発売中止。
急遽レコード会社をキティレコードに変えて発売された。

カバーズ

カバーズ

 

12月にはライブアルバム「コブラの悩み」をリリース。
この日は、マスコミやマスコミやレコード会社と揉めた一年を締めくくるクリスマスライブとなった。

コブラの悩み

コブラの悩み

 

 
俺は大学には、友人の車に拾ってもらって通学していた。
RCサクセションは、通学の1時間の間、車のステレオでずっとかかっていた。
丁度、トランジスタラジオがヒットしていた時期だった。
そのなかで俺が好きだったのは、初期のRCサクセションの「僕の好きな先生」だ。

初期のRCサクセション

初期のRCサクセション

 

 短い曲の中に、煙草と絵の具の匂いがするやさしい先生が描かれている。
勝手にその人物の姿を想像してしまうのである。

大学卒業後は、ヒット曲以外はほとんど聞いていなかった。
それでも十分に楽しめるライブ内容だったのだろう。
全然記憶に無いけど。

 

 1988年12月25日 日本武道館 「LOVE ME LIVE TOUR 1988」

メンバーは忌野清志郎、仲井戸麗市、小林和生、新井田耕造、柴田義也。
サポートは梅津和時、片山広明、金子マリの3名。

セットリスト
1.よォーこそ
2.ダーリン・ミシン
3.吉報
4.ダンスパーティー
5.心配させないで
6.サマータイム・ブルース
7.軽薄なジャーナリスト
8.アイ・シャル・ビー・リリースト
9.Oh!Baby
10.体操しようよ
11.パラタイス
12.ノスフェラトゥ
13.楽しいクリスマス
14.ママ・プリーズ・カム・バック
15.彼女の笑顔
16.空がまた暗くなる
17.Long Time Ago
18.君はLOVE ME TENDERを聴いたか
19.ステップ
20.上を向いて歩こう
21.雨あがりの夜空に
(アンコール1)
22.パフ
23.からすの赤ちゃん
24.ヘルプ
25.シークレット・エージェント・マン
26.黒くぬれ
(アンコール2)
27.スローバラード
28.Rock'n Roll Showはもう終わりだ


RCサクセションにとって転機となった貴重なライブを覚えていないとは。
我ながら情けない。


ーつづくー