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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

パーソンズ ~1987年8月その4~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1987年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1987年 8月28日 新宿ロフト パーソンズ
ライブを観に行った。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

パーソンズを新宿ロフトで観て、その後オールナイトで飲んだ日だ。
27日と28日の2daysのライブで、深夜にもライブを行っていた。
その2日目の28日の話である。

パーソンズは、インデーズ時代からARBオフィスに所属していて、メジャーデビューも時間の問題であった。
2daysライブは、メジャーデビューが決まって、インディーズ時代最後の新宿ロフトでのライブだった。

パーソンズは1983年、NOTHING PERSONALとして結成。
女性ボーカリストのJILLとギタリストの本田毅の2人のユニットで始まった。
NOTHING PERSONALの名では数本のライブを新宿ロフトで行っている。


このバンド名は、1980年にアメリカで結成されたポップ・ロック・バンド
MIssing Persons(ミッシング・パーソンズ)をモジったものだろう。

  このミッシング・パーソンズのメンバーは、
ギターのWarren Cuccurullo(ウォーレン・ククルロ)
ヴォーカルのDale Bozzio(デイル・ボジオ)
ドラムのTerry Bozzio(テリー・ボジオ)
3人とも、「フランクザッパ」チュードレンだ。
ウォーレンは、この後Duran Duran(デュラン・デュラン)に参加している。

 本田毅はウォーレンの感性とギターセンスが好みだったのであろう。
ポップでテクニカルなギタープレイは、ウォーレンがルーツなのだと思う。

その後、元AUTO-MODのベーシスト、渡邉貢とドラマーの藤田勉が加わる。
1984年にバンド名をPERSONZに改名。新宿ロフトを中心としたライブ活動を精力的に行う。
1987年8月28日、この日のライブがココ。
1987年9月21日、アルバム「PERSONZ」でメジャーデビュー。
その後、ドラマ「ママハハ・ブギ」(TBS)の主題歌「DEAR FRIENDS」がヒットしたのはご存じであろう。

I AM THE BEST!

I AM THE BEST!

  • アーティスト:PERSONZ
  • 発売日: 2020/07/22
  • メディア: CD
 

  この日の新宿ロフトのライブは、メジャーデビューが決まって乗りに乗っているライブだった。
ドラマーの藤田氏にロートタムを貸したり、ARBの打ち上げなどで飲んだりと、メンバーとは顔見知りだった。
しかし、今日は客席が立ち見で満杯で中に入れずに、階段下で観ていた。
熱気でステージが靄っている。
夜のライブが終わっても、人がロフトの外に溢れていた。
夜中には石橋凌、PANTA、シーナがゲストで出演して、更に盛り上げるらしい。
とても、小屋の中に入り込むのは無理そうだった。

あまりの人の多さに、いる場所が無いので、暫く大久保の居酒屋で飲む事にした。
数時間は飲んでいただろうか。
再びロフトに帰って来ると、店内は、朝まで人が帰らずにごった返して、立ち飲み屋状態となっていた。
椅子に座れたのは閉店して、お客が帰った後だった。

戦場の後の様に散らかった店内を片付けているのを横目に、カウンターでビールを飲んだ。

今日、ライブで見れたのは、お客の隙間から見える、背の高い渡邉ミッしゃんの頭くらいだった。


ーつづくー