スマイリー原島 ~1987年4月その3~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1987年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。
1987年 4月19日 新宿ロフト
ACCIDENTS <ゲ>MG
スマイリー原島とよく飲んだ頃だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
この頃の新宿ロフトは、めんたいロック勢が幅をきかせていた。
代表的なバンドは、シーナ&ロケッツ、ルースターズ、山善、そしてアクシデンツである。
今回はロフトで仲良くなったスマイリー原島の話をしよう。
ロフトのパブタイムに急によく来る様になった男がいた。
背はそれほど高くない。
いつもパナマ帽をかぶっている。
一人で飲んでいるのかと思えば、馴れ馴れしく近寄って来て話しかけてくる。
強い九州なまりで、語尾に必ず「くさ」をつける。
例えば、
飲んだ草。
やった草。
最高草。
飲み足らん草。
今日は帰らん草。
こんな感じである。
俺よりタチの悪い呑み助は珍しい。
しかし、その笑い顔が可愛いのである。
笑うと、顔がくしゃくしゃになって、目が垂れて線になる。
本当に笑い顔しか思い出せない。
この男がスマイリー原島だった。
どうやら、めんたいロックの雄、アクシデンツのボーカルらしい。
スマイリー原島率いるアクシデンツは1982年に結成。
1983年には、自主制作盤「ナイト・タイム」(全4曲)をリリース。
さらに徳間ジャパンから「ヒューマン・ズー」でメジャーデビューした。
「アクシデンツ」は86年に上京、翌年の解散まで4枚のアルバムを出している。
アクシデンツの音はストレイトなビートロックで、スマイリー原島の力強い歌声がイカしていた。
聞くと、スマイリー原島は熊本人ではないか。
俺はてっきり博多もんかと思っていた。
そんな縁もあって、1987年の4月19日にアクシデンツのステージにゲスト出演したと思う。
ステージの途中に紹介されて何曲か演奏したのだろう。
アクシデンツのドラマー宮本さんの垂直セッテイングのシンバルが叩きにくかったのを覚えている。
ライブが終わるとお待ちかねの打ち上げが始まる。
スマイリーは紙コップを持ってロフトじゅうを回っている。
これが、彼なりのお客さんへの感謝の証なのかもしれない。
すべてのテーブルに顔を出した後、俺達の所へやって来た。
彼はとにかく飲む。
よくしゃべる。
よく笑う。
そして、声がでかい。
俺はじっと、彼のしゃべくり「草」攻撃に耐え続けた。
本人には悪気がないので憎めない。
俺と同じで、飲む仲間がいる事が嬉しくてたまらないのだ。
この日も心行くまで飲み明かした。
最後はロフトの外の道端で座り込んで飲む始末だった。
この年は、この後も何回か一緒にライブをしたなあ。
大好きだぜ、スマイリー原島。
ーつづくー