テリー・ボジオ ~1987年8月その5~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1987年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。
1987年 8月28日 新宿ロフト パーソンズ
ライブを観に行った。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
前回のパーソンズの話で少し触れた、ミッシング・パーソンズのドラマーテリー・ボジオ。
今回は、大好きなテリー・ボジオの参加しているお気に入りのアルバムの話。
俺が一番初めにテリー・ボジオを知ったのは、フランクザッパの「雷舞イン・ニューヨーク」だった。
76年12月にニューヨークのPALLADIUM(パラディウム)で行われた4公演をまとめたライブアルバムである。
ザッパはライブでは参加ミュージシャンをアナウンスする。
テリー・ボジオの他、後に一緒にバンドをする事になるキーボード/ヴァイオリンEDDIE JOBSON、ベースPATRICK O'HEARN、ホーンセクションのMICHAEL BRECKERとRANDY BRECKERのブレッカーブラザースなどが顔を揃える。
腕利きミュージシャン達が、ザッパのジャズとプログレを混ぜた、ノージャンルの名曲を快演している。
ザッパのファンとなり、色々なビデオを見た。
そうしていくうちに、上半身裸、海パン一つで歌いながらドラムを叩きまくる長髪の若者を見た。
シンバルを叩く時には立ち上がらんばかりだ。
動いているボジオを見たのが、これが最初だった。
YOUTUBEのリンクはこちら
https://youtu.be/gSUHGcVda0g
次が、ブレッカーブラザースの「ヘヴィ・メタル・ビ・バップ」。
これは、ボジオが参加していると知って買った。
ホーン系のフュージョンにボジオのドラムが決まる。
切れのいいキメが心地良い。
そして、UKに加入。
UKは、ドラムのビル・ブルーフォードとギターのアランホールズワースが脱退。
残ったエディ・ジョブソンとジョン・ウェットンは後任のドラマーとして、ジョブソンの知り合いで、
フランク・ザッパで活動していたテリー・ボジオを誘い、トリオ編成でバンドを再スタートさせた。
第2期UKである。
79年、セカンド・アルバム「デンジャー・マネー」をリリース。
同年5月に第2期メンバーで初来日。
同年、日本公演のライブ・アルバム「ナイト・アフター・ナイト」をリリースする。
2枚とも大好きなアルバムだ。
俺が変拍子のプログレにはまった時期だった。
80年、ミッシング・パーソンズを結成。
メンバーは、当時の妻だったデイル・ボジオ、ザッパのウォーレン・ククルロ、パトリック・オハーン。
ポップなニューウエイブサウンドの4枚のアルバムを残している。
89年、ジェフ・ベックの「ギターショップ」に参加。
テリー・ボジオ(ドラム)、トニー・ハイマス(キーボード)とのベースレス・トリオによるインスト集。
ストレートな演奏が多く、ギター・ロックである。
とりわけ最後の曲のスリング・ショットではボジオのツーバスが炸裂。
ドラムの破壊力が、ベックのギターとバトルしている。
89年8月11日、横浜アリーナでライヴを行っているが、このライブを見れなかった事が悔やまれる。
さて、テリー・ボジオと言えば、その独特なドラムセッティングでも有名だ。
手元に昔のパイステシンバルのUK時代の資料が有るので載せておく。
ーつづくー