Web
Analytics

酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

カニチャン送別会 ~1989年5月~

f:id:sakenomi_oyaji:20201107060552j:plain

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1989年4月、私はバイトを始めた。
この頃はMGと言うバンドを辞め、ロフトの店員バンド「PEACE MAKER」で活動していた。

 

1989年5月27日 ロフト THE ROCKBAND
                          蟹江送別会
ロフトの蟹江店長の送別会だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

俺が新宿ロフトに通い始めた頃の店長は山崎さんだった。
山崎さんはミュージアムと言うバンドのギタリストをやっていた。
このバンドはなかなか人気があった。
しかし、山崎さんはスゴイ酒呑みで、よく朝まで付き合わされたものだ。
彼が辞めて、次の店長になったのが蟹江店長(カニチャン)だ。

カニチャンは新潟県出身で、歳は俺よりも少し下。
いつもウエイターの様な白シャツにベストを着ていた。
音楽は、めんたいロックが大好きだった。
山崎さんからカニチャンに店長が変わって、ロフトはめんたい色が強くなったと感じたほどだ。
まあ当時は、めんたいロックブームであったせいもあるけれど。
そんなカニチャンが、ロフトを辞めて地元に帰る事になった。

カニチャンの送別会は、THE ROCKBANDのライブの打ち上げの時に行われた。
ロフト縁のバンドのメンバーも大勢参加していた。
カニチャンは花束を貰って、最後の挨拶を泣きながらしてたのを覚えている。
性格は、細かい所は有ったが、ジッと我慢の越後の人間だった。
その後の新店長は小林シゲアキになった。


カニチャンとの思い出が一つある。

ある日カニチャンが、実家の新潟から名物のお土産を持って帰ってきた。
幻の日本酒「雪中梅」と「イカの一夜干し」だった。

雪中梅 普通酒 1800ml
 

 当時、なかなか手に入らなかった新潟の3梅と言われたのは
・越乃寒梅
・雪中梅
・峰乃白梅
の3銘柄である。
雪中梅はその中でも、最も稀有なものだった。
俺は雪中梅を飲んだ事はなかった。
そもそも値段が高かったのだ。

そして後日に、俺とロフト店員のノムさんとカニチャンの3人で飲む約束をした。


しかし、呑助の血が騒いでしまったのだ。

いけない、いけない、とは思ったが。
あろうことか、カニチャンのいない時に、俺とノムさんで味見をしてしまったのだ。
最初は、二枚あったイカの一夜干しの一枚目のゲソだけを炙った。

醤油マヨネーズに七味をかけて食う。
うまい。
俺は、イカの一夜干しと言う食い物は初めてだった。
ゲソがこれほど美味いならば、身はどれほど美味いことだろうか。
早速、身も炙って食べてみた。
うまい。
身がこれほど美味いのであれば、日本酒と合うに違いなかった。
そこには、あの「雪中梅」の一升瓶があった。

舐めるだけ、と栓を開けた。
コップに少しだけ注ぐ。
これは美味い。
なんと一夜干しに合うのだろうか。
もう少し注ぐ。

これが繰り返された。

あれよあれよと言う間に、イカの一夜干し2枚をアテに、雪中梅一升が空いてしまった。


翌日、それを知ったカニチャンがどんなに悲しんだことだろう。
本気でふて腐れて怒った彼を初めて見た。

その後、カニチャンがロフトを辞める日までずっと、「雪中梅」の事を言われ続けたな。

本当にゴメン。
良くしてもらって、
ありがとう。


ーつづくー