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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

BL.WALTZ ~1988年3月その3~

四分の三拍子の二つのハート

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1988年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1988年 3月15日 ロフト BL.WALTZ
ロフトの店員バンドだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

1988年3月15日、BL.WALTZ(ビーエルワルツ)をロフトの客席で見た。
それまでは、早朝の練習風景でしか見ていなかった。


ロフトには店員バンドが幾つかあった。
元店長秋村氏のROODYS ドラマーは店員の小野口ヘソ君。
古株店員のノムさんのPEACE MAKER ドラマーは俺。
後に店長になる小林シゲアキは、リーゼントのロックンロールバンドをやっていた。
そのうちの一つがBL.WALTZだった。

メンバーは
松岡基樹 ボーカル
田口祐司 ベース
七瀬ミチル キーボード
小西昭次郎 ドラムス
の4人。
1984年にロフト昼の部デビュー。
ミチルが入り、このメンバーになったのは1987年位からだと思う。

ロフトの店員は松岡君と新人のミチル君の二人。
小西ショーちゃんはロフトの近くに住むドラム少年で、俺とは4、5年前からの知り合いだった.。
松岡君はメガネを掛けた背の低いオタク風な外見で、俺より1コ年下。
口下手でとても音楽をやる様には見えなかった。
ミチルは城ミチルに似ていたので、ミチルと呼ばれたと思う。

BL.WALTZの音は、アコースティックな感じで、松岡君の透き通るような高音の声が印象的だった。
店員バンドは曜日を決めて、早朝ロフトで練習をしていた。
飲んだくれの俺は彼らの練習を見ながら飲んでいたものである。

おとなしいメンバー達の奏でるサウンドは、ビートルズのノルウェイの森みたいだなあ、と思っていた。


そんな或る日、ビッグニュースがロフトに飛び込んできた。
それは電子楽器メーカーのローランドが開催していたニューエイジ・コンテストで、彼らが準優勝したというものだった。
いつの間に応募していたのだろうか。
開催地はグアムのココス島だ。
とか
審査員のジェフバクスターに滅法気に入られたらしい。
とか
次々と新しい情報が入ってきた。

この日を境に、BL.WALTZはロフト夜の部に昇格したと思う。
そして、1989年にアルバム「GARDEN AFFAIR」をリリース。

Garden Affair

Garden Affair

  • アーティスト:BL.WALTZ
  • メディア: CD
 

  1990年に「モノクロームの冒険」ポニーキャニオンからメジャーデビューを果たした。

 俺が知っている彼らはここまでである。


その後、松岡君はプロデューサー兼作曲家となり、アンジェラ・アキ、Superfly等のプロデュースを担当するほどになるとは。

俺の知っていた松岡君とはまるで違う人物である。
メンバーもそれぞれ音楽活動を続けて活躍しているらしい。


ーつづくー