Web
Analytics

酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

シオン ~1988年3月その5~

f:id:sakenomi_oyaji:20201217130452j:plain

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1988年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1988年 3月27日 新宿ロフト
<MAINLINE act 2> ROODYS/SHAM/BODIES/KINGBEES <ゲ>MG
ロフトでゲスト出演している。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

サラリーマン時代最後のライブは、ロフトの企画物のゲスト出演だった。
ROODYS繋がりで出演したのだろうか。
ブッキングの経緯は今となっては分からない。

ROODYSはロフトの店員バンドで、元店長の秋村氏と現店員のドラムのヘソ君(小野口直人)が在籍していた。
メンタイ系のビートバンドだと記憶している。
彼は真面目な性格で、音にもそれが表れた堅実なビートドラマーだった。
その後、大江慎也バンド、シオンを叩いている。

それでは、今回はシオンの話を。

シオンは1984年頃、俺が大学生の頃にロフトに現れた。
初めの頃は、ロフトのステージに近いパイプ椅子席で飲んでいた。
ドレッドの様な長髪で、友達がいないのかいつも一人だった。
その目は焦点が合わず、どこを見ているのか分からない、危ない奴に見えた。

  シオンは1985年、自主制作盤「新宿の片隅で」を出した。
なかなかいい曲だと評判になり、シオンは一躍有名になった。
それからすぐにアナーキー、ルースターズらと打ち解け上段の木のベンチ席で飲むようになっていった。
人見知りで寡黙な性格は、飲むと陽気でよく笑う男に変わった。
ずっと飲み続けるタイプで、泥酔した姿を見たことがない。
酒はほんとに強かった。

シオンは、初めは一人で弾き語りをしていた。
その後、ロフトで仲良くなったヘソ君達をバックにバンドでやるようになっていった。
SION & NOIS という名でロフトで活動を始めた。

ヘソ君は、1988年4月21日リリースのシオンのメジャーアルバム「SIREN」からドラムで参加。

SIREN

SIREN

  • アーティスト:SION
  • 発売日: 1988/04/21
  • メディア: CD
 

次の「Strange But True」にも参加している。

STRANGE BUT TRUE(紙ジャケット仕様)

STRANGE BUT TRUE(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト:SION
  • 発売日: 2008/08/27
  • メディア: CD
 

 シオンは俺以上に酒飲みで、毎晩の様にロフトに来ていた。
誰かの打ち上げで、何度が飲むうちに親しくなった。

或る日、俺とシオンはロフトで2人で飲んでいた。
何故2人で飲んでいたか忘れたが、多分大勢で飲んでいたのだが、皆帰ってしまったのだろう。
飲み足りないシオンは、外で飲もうと言う。
時刻はもう4時を回っていたと思う。
もう営業している店も少ない。
俺は笹塚に朝6時過ぎまでやっている、演劇人の通ういい店があると提案すると、シオンも乗ってきた。
ロフトの前でタクシーをひろい、笹塚駅近くの甲州街道でタクシーを止めた。
降りようとすると、シオンは新宿に戻ると言い出した。
飲みに行こうと誘ったのはシオンのくせに、新宿に帰ると駄々をこね始めた。
酔っぱらっていた俺は、面倒くさくなって、じゃあいいや、と俺だけ降りた。
彼はそのままタクシーを走らせて去っていった。
またロフトに戻ったのだろうか。定かではない。

SION-YAON  2019  with THE MOGAMI [DVD]

SION-YAON 2019 with THE MOGAMI [DVD]

  • 発売日: 2020/01/22
  • メディア: DVD
 

 今でも飲み続けているのだろうか。
まだまだ現役のシオン。
飲み過ぎて体を壊さない様に。


ところで何故、小野口直人はヘソと呼ばれていたのか。
それは、彼の口癖がナルヘソだったからだと記憶している。
本人から聞いたのだから間違いない。


ーつづくー