Web
Analytics

酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

送別会 ~1988年3月その4~

退職 プレゼント 感謝を伝えるメッセージギフト ありがとう 感謝 詩 名前 (女性用)

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1988年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1988年 3月25日 居酒屋S
居酒屋Sとは働いていた会社の最寄り駅の居酒屋だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

俺は新卒で就職した。
景気が良い時代で売り手市場だった事もあり、大学からは大手2社以外ならどこでもいいよと言われていた。
そこで俺はある会社を選んだ。
その会社を選んだのには理由が有った。
新宿でのバンド活動が続けられるのである。

・始業は朝8:00と早いが、終業は16:00。急いで新宿に行き17:00のリハに間に合いライブに出られる。

これが一番の理由だったのだが、段々と仕事の内容自体も好きになっていった。
俺は、某通信機メーカーの開発部に所属するプログラマーになった。

入社して二年目までは、仕事とバンドの二足の草鞋をなんとかこなす事が出来た。
しかし、三年目からはバンドのライブツアーが始まった。
そのために有給を使い果たした俺は、3月一杯で会社を辞める事にした。
会社に引き止められたが、このままライブが増えて行けばいつかは辞める日が来ると思っていた。
会社では非常に恵まれた環境にいた。
自分専用の区切られたブースには、専用のパーソナルコンピュータPC9800があった。

f:id:sakenomi_oyaji:20201215044627p:plain

当時のPC9800は50万円以上して、なかなか個人では買えなかった。
そして、先輩にも恵まれたが、何と言っても時間が自由だった。

ある日、俺は出社したものの猛烈に眠かった。
スタジオ練習の後飲んで、ほとんど寝ないで出社したからだ。
うとうとしている俺を見かねたF先輩が、お前ここで寝てろ、と言って、
誰も来ないガラス張りのメインコンピュータールームに連れて行ってくれた。
誰も来ない理由は彼がこの部屋の管理者だったからだ。

f:id:sakenomi_oyaji:20201214035939j:plain

メインコンピューターは磁気テープが回るDEC製のミニコンと呼ばれたもので、昔のSF映画に出てくる様なものだった。
部屋にはたくさんの機械が並び、広さは30畳ほどある。
完全に隔離され、配線のために二重床になっていて、一年中同じ温度湿度を保っていた。

床に横になる。
冷えていて気持ちがいい。

一番奥の見えない場所で眠りに落ちた。
そして、数時間後、何食わぬ顔で自分の個人用ブースに戻ったのである。

そのあとはサービス残業をして埋め合わせる。
時には休日にもサービス出勤した。
納期が守れればOKだった。

こんな日々を繰り返していたのだが、もう潮時だ。
これ以上好意に甘えることは出来なかった。

3月25日。
この日は、会社の最寄り駅の居酒屋Sで送別会があった。
奥の座敷に上司と同僚が10人以上集まってくれた。
最後まで温かく送り出してくれた皆さまに感謝いたします。
お世話になりました。
本当にありがとうございました。


ーつづくー