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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

仙台日帰りライブ  ~1988年4月 その3~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1988年、私は就職して3年で退社、仕事もせずに新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1988年 4月20日 仙台
一度だけ仙台に行った事がある。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

レコードとポスター持って、仙台へ日帰りのライブに行った。
ライブ会場で売るつもりである。
東北にライブに行くのは初めてであった。

昔のバンドの宣伝方法は、ビラを配ったり、ライブハウスに貼ったり。
あとは、知り合いに片っ端から電話をする。
そんな地味な方法しか無かった。
唯一「ぴあ」に載る事が全国的な宣伝になった。
「ぴあ」とは、映画、音楽などのエンターテーメントの予定を載せた雑誌である。
ライブハウスの出演予定のコーナーでは、バンドの名前が載る。
沢山の小屋に出演予定があると、売れている感じがした。
仙台ヤマハのライブも載っていたと思う。


朝、機材車ウンコ号で新宿を出発した。
途中パーキングで朝食を摂り、東北自動車道を順調に北に向け走っていた。
仙台まであと半分くらいに差しかかった頃、プスプスとエンジンの様子がおかしくなった。
スピードが落ちこのままではじきに止まりそうだ。
その時運転手が言った。
ガソリンがない。
えっ。
故障ではないのでひと安心だが、このままではエンジンがストップしてしまう。

その時、高速出口の看板が見えた。
あと出口まで1キロだ。
と、同時に、遥か彼方にガソリンスタンドが見えた。
一度高速を降りて、あそこまで行くしかない。
速度を落として車は進んて行った。

神様はいたようだ。

危機一髪、高速から見えていたスタンドにたどり着き、無事ガソリンを入れた。
ほっと一息ついて、もう一度高速に戻り、午後には仙台に到着した。


日帰りで1本だけのライブだった。
会場は仙台のアーケードにあるヤマハ楽器だ。

ポスターが入口に貼ってあり、宣伝が行き届いている。
そのせいか、思ったより客も入っていた。

演奏の事は全く覚えていない。
ライブ中は集中しているので、よっぽど上手くいくか、失敗しない限り覚えていないのだ。
多分無難に演奏したのだろう。
弾丸ツアーなので、美味い物を食べた記憶も無い。
第一、俺は名物の牛タンが食えなかった。
牧場で働いた事があるので、牛のザラザラした舌を触って知っているからだった。

この日で唯一覚えているのは、初めてサインをねだられた事だ。
会場の階段を降りた出口で声をかけられた。
中学生か高校生の女の子だった。
サインが欲しいと言うではないか。
俺は、彼女の帽子のツバにヘタクソなサインをした。
サインの練習をしておけば良かったと思った。
東京に帰ってからはサインの練習をした。

しかし、サインをねだられたのはこれが最初で最後で練習の甲斐はなかった。

残念。


ーつづくー