Web
Analytics

酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

スティーブ・スミス ~1991年10月その1~

f:id:sakenomi_oyaji:20210928085618j:plain

新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年10月22日 新宿御苑前
スティーブ・スミスドラムクリニックに行った日だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

元ジャーニーのドラマー、スティーブ・スミスのドラムクリニックへ行った。
コマキ楽器が主催する、ソナーのドラムクリニックだ。
スティーブ・スミスは、ジャーニーを脱退し、ジャズセッションをしていた頃だった。

この日の事は、とても良く全てを覚えている。
彼は、大好きなドラマーの一人だった。

f:id:sakenomi_oyaji:20210928085632j:plain


クリニックは、地下鉄丸ノ内線の新宿御苑前駅近くのビブランシアターと云う場所で開催された。
地下1階にあったミニシアターで、キャパは50から60人といったところか。
映画館なので、厚い防音扉になっていたと思う。


こんな小さな場所に、憧れのスティーブ・スミスが来るのだ。
俺は、早くから行って最前列に陣取った。
パイプ椅子の客席前には、ソナーのドラムセットがセッティングされていた。
ドラムの色が明るい木目だったので、コマキ楽器が用意したスカンジナビアンバーチのソナーライトではなかろうか。

f:id:sakenomi_oyaji:20211031021049j:plain

動きが良く見える様に、ハイハットを手前に、左向きにセッティングされていた。


しばらく待つと、スティーブ大先生が現れた。
俺からの距離、約10メートル。
ドラム椅子に座ると、早速ドラムソロを叩きまくり始めた。
左手はトラディショナルグリップ。
バークリー出身者らしい、テクニカルなソロだ。

一通り叩き終えると、観客の前に出てきて挨拶をした。
コマキ楽器の広報の人が通訳をしてくれたと思う。
そして、スティックの持ち方から始まり、叩き方までを教えてくれた。
次は、過去に演奏した曲のリズムパターンを見せる。
ジャーニーの「ドント・ストップ・ビリーヴィン」のタムを加えたリズムパターンをやってくれた。


休憩時間になり、俺はトイレに行った。
7、8人が入れる大きさだったが、俺以外には誰もいなかった。
用を終え、手を洗っている時に、誰かが入ってきた。
なんと、スティーブ・スミスだった。
俺は、一瞬固まったが、すぐに気を取り直して話しかけた。
「ヘイ、スティーブ、サインプリーズ」
と言って、持っていたスティックケースとマジックペンを渡した。
スティックケースには、ライブの時に曲順を書く為に、マジックが入っていたのだ。
慌てていて、
May I have your autograph?
なんて英語を思い出す暇もなかった。

スティーブは、少し驚いた様な表情をしたが、快くスティックケースにサインを書いてくれた。
彼も、まさかトイレでサインをねだられるとは思ってもいなかったに違いない。

f:id:sakenomi_oyaji:20200607053859j:plain


再び、クリニックが始まり、ルーディメントを使ったドラムセットでの応用編。
ダブルパラディドルで、アクセントをシンバル+バスドラムにしたパターンだ。

> >    > >
RLRLLL LRLRLL

を段々早くして、凄まじい速さで叩いて見せた。
最後に、質問コーナーで、クリニックは終了した。
時間にして、一時間半。
色んなドラムクリニックに行ったが、一番面白かった。
なにせ、小さな会場だったので、スティーブ・スミスとの距離が近かった。


クリニックが終わり、興奮冷めやらぬままサインの入ったスティックケースを大事に抱えて帰った記憶がある。


ーつづくー