MG新宿ロフト初出演 ~1986年12月その1~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1986年の手帳にはスタジオ練習とライブの予定が書いてあった。
私は就職して2年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。
1986年 10月19日 渋谷ラママ
11月18日 渋谷ラママ
12月26日 新宿ロフト MG/レジスタンス/GDF
渋谷ラママでライブを重ねている。そして初新宿ロフト。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
この頃MGは渋谷のラママを中心に活動していた。
月に1回位のペースで出演している。
手帳には、ライブを演った場所しか書いていなかった。
これだけでは、何があったのか記憶が定かではない。
ネットのロフトアーカイブスを見てみる。
対バンが分かると少しずつだが記憶が蘇って来た。
12月26日、MGとしては、新宿ロフトでの初ライブである。
対バンはレジスタンスとGDF。
当時、この3バンドは新宿ロフトの飲み友達だった。
良くパブタイムに来ていたのは、各バンドのボーカル達3人。
特にMGのボーカルWとGDFのボーカルJは仲が良かった。
当時バイト先も同じだった2人は、よく一緒に現れたものだ。
この中では、レジスタンスが新宿ロフトでの実績が1番あった。
次がGDFで、我々は9月に始動したばかりで、この中では1番実績が無かった。
多分出演順もこの順番であったのだろう。
ドラムはGDFのDちゃんのを使ったと思う。
MGからGDFに移籍したギターのHちゃんは、もうGDFの一員としてギターを弾いていた。
知り合いなのでリハーサルから和気あいあいとしていた。
しかし、心の中では他のバンドがどんな音を出すのか興味深々である。
対バンの音が気になるのはどうしようもない。
集中する為に、他のバンドのリハを見ない様にしている人もいる位だ。
俺達はレジスタンスとGDFを観た事はあるが、彼らに観られるのは初めてだった。
逆リハなので、俺達がリハーサルの順番が最後だ。
逆リハとは、最後に出演するバンドからリハーサルをやって、最初に出演するバンドを最後にするやり方だ。
音響や照明さんは、セッティングがそのままなので、やり易いのだ。
観られていると、良いところを見せようとして力が入る。
頑張り過ぎて、リハーサルだけで疲れてしまった。
ライブは、レジスタンスとGDFのおかげでお客の動員はあった。
大阪者中心の新参バンドMGに動員力はまだ無かった。
リハーサルが終わり、楽屋で出番を待つ。
楽屋には過去の出演者のサインが所狭しと書いてある。
壁はもちろん、天井やテーブルやその裏までである。
もちろんBOOWYやアースシェイカーなどのサインもある。
俺も小さな隙間を見つけて日付とサインを書いた。
新宿ロフトの楽屋はステージ上手にあり、ドアを開ければステージが見える。
俺はこの景色が大好きだ。
SE(出囃子)がかかる。
ドラム椅子に座る。
バイクの爆音の合図で俺はカウントをとった。
40分位の出番だった。
本番は、リハで疲れたせいもあり、力が抜けてまずまずの演奏が出来た。
逆リハで、ドラムのセッティングがリハのままだったのも良かった。
何よりホームグラウンドのロフトはやり易かった。
裏口から外に出て、ビールで一息ついた。
レジスタンス、GDFと演奏が終わり、その後ロフトで打ち上げとなった。
俺達は、打ち上げだけは慣れていた。
メンバー4人とも飲むからだ。
初めは各バンドそれぞれの丸テーブルで飲んでいたが、すぐに席を入り乱れての乱戦となった。
今日の客は打ち上げ目当てが多いので、パブタイムまで満員だ。
噂を聞きつけたハートビーツのシャイも加わり大宴会となった。
この日も閉店まで飲んだ事は言うまでもない。
ーつづくー