最後の録音 ~1988年4月 その2~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1988年、私は就職して3年で退社、仕事もせずに新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。
1988年 4月13日 渋谷Nスタジオ
4月14日 渋谷Nスタジオ
昨年レコーディングをしたNスタジオに再び行く。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
渋谷の並木橋には、場外馬券場があり、日曜日の午後ともなれば、ガラの悪いオッチャンたちがたむろする。
交差点の角には酒屋の角打ちがあり、ラジオでレースを聞きながら昼間から呑むギャンブラーで賑わっていた。
Nスタジオは、そんな渋谷の並木橋交差点の手前のビル6Fにあったレコーディングスタジオだ。
昨年のレコーディング以来久しぶりである。
あの時は、初めての本格的レコーディングに戸惑ったものだった。
初めてここに来てから、早いもので約1年が経っていた。
今回は、新曲のデモテープ録りのためだった。
2日間を予定していた。
今年に入ってやっと2曲出来ていた。
と言うか、出来かけの曲が2曲あった。
Nスタジオで待っていたのは、懐かしのKさんである。
昨年レコードを作った時のプロデューサー兼エンジニアの方だ。
相変わらずふくよかなか顔で、良く通る声で笑う。
ライブが続いていたので、レコーディングスタジオは新鮮だった。
挨拶を交わすと、早速セッティングを始めた。
セットは相変わらず、パールのプレジデントだったが、今回はワンタム、ワンフロアの3点セットで臨む。
俺がドラムをパールのプレジデントにしたのは、ファイバー製のシェルがライブの湿気に強かったからである。
もう一つの理由は、ドラム教室で叩いた、つのだ★ひろさんのプレジデントが良い音をしていたからだった。
20インチで超深胴のバスドラムはその小さめのサイズとは思えない重低音を出していた。
この教室は、初めは代々木のアポロスタジオでやっていたのだが、後には幡ヶ谷のレオミュージックに変わった。
そうる透さんも隔週で教えに来ていた。
家から近く、歩いて行ける距離にあった。
さて今回の曲は、バンドMGとしては初めてのバラード調の曲だった。
オカズはほとんど叩かないので、この3点セットを選んだのだ。
男の哀愁が漂う感じの曲で、前半は半テンで、後半盛り上がりは倍テンで叩いた。
後半サビで盛り上げるための王道だ。
数回練習で、曲を演奏した。
しかし、どうにもしっくりこない。
曲が十分に練られてないのである。
色々なパターンで試してみる。
録音しながら曲を作ってゆく感じだ。
ここでやる作業ではなかった。
もう一曲のロックンロール調の方もイマイチの出来だった。
デモテープは、録るには録ったが公になる事はなくボツになった。
今回の録音で、バルコニーレコードの印象も悪くなったと思う。
ライブのスケジュールは入っているものの、なかなかいい曲が出来ない。
また、古い曲を繰り返すステージになるのではないか、と心配になる。
次のアルバムの構想を練るべき時期なのに、曲作りで行き詰まっていた。
ーつづくー