ボーカル入れ ~1987年7月その3~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1987年、私は就職して3年目、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。
1987年 7月30日~7月31日 渋谷Nスタジオ
2日間渋谷Nスタジオに通っている。。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
渋谷Nスタジオでの最後のレコーディングである。
ボーカルトラックを残して、バックのレコーディングは終わっていた。
仮歌のテイクは残してあるので、今回のテイクと差し替える作業だ。
歌入れだけなので、機材は何も運び込んでいなかった。
ボーカルだけがヘッドフォンを被ってスタジオに入る。
スタンドマイクには、丸い網がついている。
これは、ポップガードとかウィンドスクリーンと呼ばれるものだ。
「ぱぴぷぺぽ」などの発音の時に、強く出た息を防ぐ為の物だ。
これにより、息が直接マイクにかからなくなり、ブレス音やつばをシャットアウトする。
その代わりに高域も大きく減衰させてしまうので、音が柔らかくなるらしい。
何度もボーカルを入れ直し、さらに一部分はユニゾンで重ねていく。
俺達バックのメンバーはミキサールームから見ているだけだ。
そして、ダメ出しをする。
自分達のパートは終わっているので気楽なものだ。
完全に観客になっている。
ミキサールームで休憩をしていると、元ハートビーツのshyが差し入れを持って激励に来てくれた。
コーラスにも参加してくれるそうだ。
shyはこの頃、ハートビーツを解散して「チェイン・ザ・スリーギャング」というバンドを結成していた。
メンバーはshy、Mooney、藤沼伸一、寺岡信芳である。
ハートビーツ、コンクス、、そしてザ・ロックバンドの合体バンドだ。
1987年夏は、スリーギャングが始まったばかりの頃だと思う。
そしてその後、 「SHY&MOONEY」でディオ活動へと変化して行くのである。
やっと、6曲分のボーカルの歌入れが終わった。
次は、shyも加わり皆でコーラス入れだ。
俺達4人+shyの5人でヘッドフォンを被って、1本のポップガード付きのマイクの前に立つ。
俺はなるべくマイクから離れた位置で参加した。
俺達はユニゾンだがshyだけはハモっている。
さすがにshyはレコーディングに慣れている。
踊りながら歌っている。
おかげで、コーラスにも勢いが増した。
全てのトラックの録音が終わった。
ミキサールームで聴きなおし、OKとなった。
shy本当にありがとう。
やっとレコーディング終了だ。
長かった。
やりきった達成感があったが、予定の倍近く時間がかかってしまった。
しかし、まだミックスダウンという作業が残っている。
ーつづくー