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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

飛行機で大分へ(玖珠町ライブ編) ~1991年11月その3~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年
11月 9日 8:30 全日空 羽田発大分行き 別府1本
11月10日 大分昼2本 湯布院1本
大分合同新聞主催の玖珠町のイベントに出演した時だ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

今回の大分ツアーのメインイベントが行われる玖珠町に向けて、湯布院を出発した。

玖珠町は、湯布院から国道210号を日田方面に進む途中の田舎町である。
童話作家の久留島武彦氏の出身地で、童話の里と云われている。

最寄り駅の豊後森の駅近くには、鉄道ファンには堪らない「機関庫転車台」の跡が今も残っている。

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伝兵衛号は国道210号線を西に進み、玖珠町の交差点でイベント会場の協心橋方面へと右折した。
すると、伝兵衛さんは何故か橋の手前の小径を右に折れ、車を止めた。
そして、対岸の見える川岸まで下りて行ったのだ。
もちろん俺達メンバーも訳が分からずに付いて行った。
伝兵衛さんは、昨夜の湯布院のライブが中止になった事で、この会場の様子が気になっていたのだろう。
ここ玖珠町も半分は自衛隊で食っている町で、やはり自衛隊反対派がいるのかもしれない。
何せ、飛行機で大分に来たのは良かったが、一本もライブを行っていなかった。

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対岸の様子が良く見える。
イベント会場は、JR久大本線豊後森駅近くの玖珠川に架かる協心橋の河原だった。
後援は大分合同新聞と自衛隊だったと思う。
河原にはステージが造られ、紅白の幕が祭りらしさを出していた。
機動隊が警備に当たっていた様だが、会場付近は平穏で何事もなさそうだった。
キャンセルが続いた今回のツアーで、やっと演奏が出来そうだ。

車に戻り協心橋を渡った。
会場の河原には寄らずに直進し、今夜の宿「ホテル清流荘」にチェックインした。

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まだ午前中だったと思う。
ここは、イベント関係者の宿舎になっていた。

荷物を車から降ろして楽器だけを持って、イベント会場の河原のステージに行った。
簡単なリハーサルがあったのかな。
その後、宿に戻り本番までの間、温泉に入った。
大きな四角い、銭湯の様な浴槽だった。
このメンバーで温泉に入るのは何度目だろうか。
さすがに、伝兵衛さんも風呂の時はサングラスを外していた。
つりあがった細い目が、伝兵衛商会のイラストのイタチにそっくりなのだ。

本番は明るい時間だった。
地元のバンドも出演し、伝兵衛商会はゲスト扱いだった。
今日はドラムフルセットだ。
野外だったので、スティックで叩きたかったが、ブラシを使った。
もっと柔軟にやれば良かったが、ブラシに拘っていたのである。
ライブは明るい内に終わった。

ライブが終わると、近くの農協の裏庭で打ち上げバーベキューがあった。
今日の泊まりの清流荘のすぐ脇だった。
紙皿を持って食べ放題、缶ビール飲み放題だったのを良く覚えている。
東京から来たバンドマンは、すっかりスター気取りだった。

宿に帰り、皆でもう一度温泉に入ったのも覚えているから、そんなに量は飲んだ覚えは無いのだが。
部屋に帰ってから、部屋飲みをしたのだろう。
当時の俺は、いつも「いいちこ」の五合瓶をカバンに持っていたから。

 

翌日寝坊して、旅館のおばさんに、
「皆行っちまったよ。残っているのはあんた達だけだ。」
とムチャクチャ怒られた。
とっくにチェックアウトの時間は過ぎていた。

また飲み過ぎた様だ。

大急ぎで荷物をまとめて宿を出た。


どうも、俺とベース吉見さんの2人は、飲み出すと止まらない。
後、2人がクビになる理由の一つがこれなのだ。


ーつづくー